独 り 言


9月19日
■今、人生が変わる瞬間を生きていて、もうすぐ終わるかもしれないから、日記をこちらにものこしておく。
抽象的すぎるけど、徐々に具体的に見るようになっている。





2008-08-24 
■[日記]相かわらず 14:28  
八月に入ってから、英語の学習には時間を割けているが

プロジェクトマネージャの論文に関しては意欲も手ごたえも感じられない。

時間は減ってくるし、対策していてもどうしても真似になってしまう。

むしろ真似を許しているから楽な方に逃げるのかも知れない。

がつんと、真似させないようにして、書いてみる必要がある。

あと2ヶ月しかない。

問題を解いたり、知識を読んでいくだけで勉強になるというのは、とても楽なことだった。



次の休みに美容院にって、その後鎌倉にいってこようと思う。

鶴岡八幡宮でくじを引くのと、前のくじの結果のお礼をしてこないといけない。

旅立ちが○と出てくれるとうれしい。



やっぱり、書くと、こういう風に書けること、つまり既に自分の中にあり認識していることでも

逆輸入的な感じでもう一度吸収する事が出来る。

論文に関しては色々試せそうだ。





最近人生が揺らいでいる。

とてつもなく不安定でいる。

ある一人の人間が、すごく好きだからだ。



自分の管理できない陽の感情は、自分が管理できない負の感情を生み出し得る。

それは自分にとっては危険なことだ。

自分の陽の感情が強すぎて、とても強い負を生み出すからだ。

10年前、何の理性もなかった自分は、自分自身の感情に蹂躙された。



だからモンスターのような理性を身につけて、他の人間との溝を深めてきた。

でも、とても太刀打ちできそうにない。

人生で一番幸せな瞬間と、つらい瞬間は、既に終わったと確信していた。

今もまだそう思っている。

だから、強く理性を持てば、何ごとも、自分には届かなかった。

そうしたら、10年前と比較の対象になる程度の、幸せの源がまた見つかって

やはりそこから生まれる感情は途轍もなく強かった。



具体的な話をすると、自分はごく限定された条件下で、プラトニックに特化したバイセクシャルなのかもしれない。

エッチな本や、エッチなビデオや、過去の経験は、ヘテロセクシャルとしての自分を証明しているし

そもそも同性を好きになったりは普通ない。ガチホモは残念ながらまったく理解できない。

でも、25年の人生で、二人だけ、とにかく一秒でも多く一緒にいたいと、他のどんな感情とも比肩できない位の強い感情を持った。

キスをするとか、そういうのはいまいちぴんとこない。

それよりも気持ちが通じて、ずっと一緒にいられればいい。



理性は一刻も早く人生からその存在を切り落とせという。

丁度良い時期だから転職しろという。

だが、感情はいくつかの正論を手ごまにして、より多く一緒に仕事が出来る体制のために根回しをした。

だから理性は、少しでも相手に迷惑をかけたりしたら、自分を殺してやると言った。

感情はそんなこと意に介さないかもしれない。

理性は、出会わなければよかったと言った。

感情は、もう無いと思っていた幸せに触れられてよかったと言った。どんな覚悟も出来ているといった。

そして自分には破滅の気配が感じられる。



なついてくれている。

だから、ちゃんと話をして、警告を促そうと思う。

そして速やかに姿をけせるように、義務を果たさなければいけない。

濃すぎる愛は、等量の愛でしか解毒できない、毒だ。









2008-09-03 
■[日記]うしじまくn 23:13  
やみきんうしじまくんを読んだ。

色々おいといても、ナニワ金融道と一緒で、読んで良い漫画だと思う。

おろかな人間が一杯描かれてて、でもその愚かさは決して自分たちに全く無いわけじゃないから

怖くなる。それが良い。




考えられる最悪の結末、破滅を想定しても、諦めるわけじゃない。

でもきっと良い方向には行かないという感覚。

一生ものの宝物だ。

自分自身が一番危険で、それが暴れても

その死線をのりこえてやる。

10年前と違って、今度は、傷つけるのは自分だけに。









2008-09-09 
■[日記]かまくら 12:36  
先週、鎌倉でおみくじを引いてきた。

鶴岡八幡宮のほかに建長寺とか円覚寺を歩いてきた。

結構歩いたので汗だくだった。



鶴岡八幡宮でのおみくじは好きで、今回もくよくよせずに勉強しろとか

すぐ思い込み移りやすい性質をためていけば上の運勢だとか

縁談は意思をはっきり示せとか、言われて、多少心に響いた。

後、病気が重くなるからすぐ医者に行けと書いてあって

最近酒の飲みすぎなのか、飲んだ翌日など、たまに内蔵が重い感じがするから

少し怖い。




職場の大好きな後輩の男の子が、9月いっぱいで職場移る事になって

自社から通知された後に、すぐ電話くれて、嬉しかったけど寂しかった。

次の日勤で二人で送別会やったけど、10月からもちょくちょくあいましょうとか

らうどぱーく一緒に行きましょうとか言われて、職場に意的が合うからちょっとその間だけ仲良くしてるんじゃなくて

この先の人生でどちらかというと自分を必要としてくれてるのが嬉しかった。

で、結構言い辛かったんだけど「好きだ」ということを言って

でも多分ゲイでもバイでもないんだけど、とにかく気持ちが強すぎるという話をしたら、結果的に喜んでくれた。

でも、相手もゲイでもバイでもない。

自分はもしかしたらプラトニック的には、ごく一部の条件の男性に、バイなのかもしれない。

彼が人生で二人目だから良くわからない。

この愛情は父性が一番近い気がするが、それにしては強すぎる。



帰りのときメールを送ったら、その返事が、また一緒に行ってくれるとうれしいです!というものだった。

とてつもなく幸せだと思った。



でも、やはり、互いの意識は調和していないと思う。

俺は1秒でも多く一緒にいたい。愛が強すぎる。何もかも蝕む。毒になる。

このままでは、どちらかが相手に合わせて苦しむことになる。

物理的に離れるタイミングで、人生から切り離してしまえば、コントロールできないような感情で俺の理性は脅かされることはなくなるから

理性は離れろという。

だけど、軽蔑したり、拒絶してくれなかった。

彼には普通であれば引くくらい好意を丸出しにしている。

彼も変わっている。

彼は結構俺の事が好きで、でも誰にも執着しないところがある。

これは自分のように管理下にあるから執着しない事が出来るとかではなくて、執着する感情の欠損という方が近い。

でも、その中でも、俺に対しては、前述した好きだからが理由ではないけれど、何らかの理由で少しだけ執着している。

3つの矛盾が同時にある。執着しつつ、執着しないなんていうのは自分のやり方では決して真似できない荒業だから

とても彼のことを尊敬している。

彼も自分のことをそういう部分があると思っていて、尊敬しているから違うんだよと教えた。



彼が自分の影響を受けて、自分に対して、正負何らかの執着を抱く可能性は限りなく低いけれど、0ではないことも怖い。

それはすなわち、愛憎に焼かれる可能性があることなんだと思うけど、やけどを負うのは自分だけで良い。



こう適当にだらだらと体裁を整えないで書いていると、まるで気がふれているのか、3文小説のようだ。

まぁ、一歩進んでも何も決着しなかったということだ。

まだまだ、どちらに転んでも地獄で、この状況が死んでしまうまで、苦しむ余地がある。

しかし、10年前と違って、自分の理性はその役割を十分果たしている。

勝てなくても、闘っている。

欲望のままに他人を傷つけるような事はない。

誇りを持って、残りかすの人生を、2000年代の地球に費やす事が出来る。



そんなところで、とりあえず、明日は一緒に日勤で会え、仕事が出来る。











2008-09-17 
■[日記]終わらせる力 20:00  
嫉妬よりも心を焼く感情をしらない、ことを再認識した。

職場の新人君と他の人(新人君のことが好きそうな人)が仲良くしていると嫉妬してしまう。

ので、新人君に、「嫉妬してしまう」ことは伝えた。

で、結局自分の問題だからなるべく迷惑かけないようにすると言った。

彼は自分は適当な人間だから、もっと適当に見てくれればいいんですよ、といった。



なんか、異常なのはわかってる。

これで嫌われず、交友関係が続いてるのもおかしい。



新人君に関しては、彼は俺にどうでも良いと思われることを嫌っている、ようだ。

僕なんかどうでもいいですよね、といってどうでもよくないといってほしがっている、ようだ。

職場が変わっても、これからも会える担保もほしいようで、〜にいきましょう、とか

「もう来月から二度と会わないかもしれないですね」「携帯から消しちゃいますよ」なんて言って

俺に否定してほしがっている、ようだ。

だから今日、俺がまた誘うから二度と会わないことは無いよ、といった。

自分にとって一番どうでもよくないのが君だよといった。



でも、到底釣り合っていない。

お互いの感情は調和していない。

彼がなぜ部分的に、自分に執着しているのかわからない。

上のような発言は、もう会えないかもしれないけど、それは嫌だと思わないと出てこない。

彼は、執着、が発生するほど、俺にこだわるような感情を俺に対して持っていないはずだ。

俺は彼に対してそのレベルの感情を持っているから、執着が発生することは当然だと思える。



来月からは週3で会おうねと冗談を言ったら

出不精の自分には月1で十分ですよ、という答えが返ってきた。彼が俺に持っている感情はその程度だ。

ただ、月1で会う友達も、滅多に居ないといえばいない。

お互いの価値観の体系がずれているということもあるが、やはり気持ちはつりあわない。



職場では基本的にずっと隣に居る。

自分の席に居るよりも、隣に行っているほうが多い。

彼もそれを当然として受けいれている。



前回好きだと伝えたとき、ラブですかと聞かれたから愛情だよと答えた。

だから、最後に、誤解の無いように、自分の気持ちの強さを伝えたい。

ライクではなくて、ラブだと伝えたい。

少なくとも、精神的、プラトニックとしては、同性愛と考えていいと伝えたい。

いやそんな前置きは無しだ。伝える。

そしてもう会わない方がいいと伝えて、会わないようにする。

俺は死ぬほどつらいと相手に言う、でも彼はそれほどまで辛いことにはならないはずだ。

永遠に調和しない関係の中で、自分がはみ出ている部分を削り続けるには、自分の気持ちが強すぎる。



出来るかわからない。

それが正しいことかもわからない。

会い続けることのほうがいいかもしれない。

日常的に逢わないことで、自分の理性のほうが勢力を増し、どうでもよくなってくるかもしれない。

でもとりあえず今は心が張り裂けそうだ。

最大限の本音をぶつけることで、なにか進歩があるかもしれない。

でも無ければそれで終わりでいい。



明日映画に一緒に行く。

昼食って映画見て終わり。

29日に職場の送別会がある。30日はお互い日勤だ。

来月1日からは彼は当初日勤ではいるはずだ。

自分たちの夜勤前の日勤というと25日しかない。25日にその話をしようか。

それとも10月に入ってから、会って話をしようか。



生々しい感情としては1ヶ月も待たずに消えて、3ヶ月もあれば思い返すことも少なくなるだろう。

でも、一生忘れないだろう。

その程度のことだが、自分の人生にとっては、きっと一番目か二番目くらいに大きなことだ。

全てを費やすに値した。

彼のおかげで人生が色を取り戻した。

生きていることを再認識した。

瞬間、が価値を持ちだした。

愛している。












9月21日
■昨日、今日と理性のほうが強い。この状態なら切り捨てられる。
ずっと理性がかけつづけたブレーキのせいか
蠱惑な態度がなりを潜め、本来の関係に調和しだしたのか。
抑うつ症状の感情を麻痺させるという良い部分だけが発露しているのか。

ただいずれにせよ、いまだ最優先事項なので、勉強などの時間が削られる。













9月25日
■まとめ

今日彼と飲んできた。
話を聞いてくれた。
一緒に考えてくれた。

彼が気にしたのは、ただ一つのことだった。

「自分のしたいようにするべきだ。」ということだった。
「自分自身もそれをわかっているだろう」と言われた。
俺自身もわかっていたはずだった。理屈は気持ちにはかなわない。
感情的には誰よりも自分が一番正しいのだ、ということは5年も6年も前から、おれ自身が言っていたことだった。

自分に正直になるなら、少なくとも今の段階では俺は彼と一緒に生きたい。
ずっと一緒に居たい。
俺が彼を求めることで彼に負担を与えたり、傷つけたりすることになるかもしれない。
ただ、彼はそれで良いと思っているようだった。
「そんな後のことの心配をするよりも、自分のしたいようにしろ」と言われた。
ごたくはいいと。結果は結果として、なるようになるんだと。
「これから先、から逃げるのか」とも言われた。

だから
「でも、やっぱり大事だからこそ、気を使ってしまう部分もでてくるんじゃないか。
 俺が君を好きだという気持ちのほうが多分強いから
 負担を与えたり傷つけたりしないためには、つりあっていない部分の気持ちを
 俺が削られなければいけない部分もあるんじゃないか。それはとても辛い。
 俺と君の気持ちはつりあっていないから、関係はうまくいかない。」
と彼に言った。

そしたら、「じゃあ、9月の間は俺は彼に気を使っていたのか」と聞かれた。無理をしていたのかと。
考えてみたが、一緒に居たいときは常にそばに居た。
職場でなかろうと、会いたいときはあったし、しゃべりたいときはしゃべった。
何かを我慢してはいなかった。
多分、気を使わないと相手に負担をかけてしまうかも知れないことを、恐れすぎていて
強迫観念となって、気を使わないといけないということが自分の中で既成事実化していたのかもしれない。

もうひとつ、聞かれた。
「うまくいかないというのは、未来にでも行って見てきたのか」と聞かれた。
展望が悪くてもベストを尽くさずに何かを諦めてしまう、ということは
彼にとっては良い選択ではないようだった。
自分の思い通りにはならないかもしれない。
最善の結果には到達しないかもしれない。
でも、そこにたどり着くまでに、ベストを尽くすべきだということが、彼の信じるものだった。
正しい。人間関係のように相手が必要じゃないことだったら、俺もそうするだろう。
つまり、彼は自分には無い、良い魂を持っているということだ。


彼がそんな感じの話をするだろうということはわかっていた。
ただ、「勝手にしろ、自分で決めろ」といわれるだけなのかもしれないとも思っていた。
でも、一緒に考えてくれた。
そして「自分がどうしたいのか、伝わっているだろう」とも問われた。
「嫌っていると思うのかと。そうだったら、今日来ても居ない。
 そもそも、途中で切れて出て行っていないということは、どういうことなのか考えろ」と。


俺は彼の特別になりたい。
じゃあ、その特別は誰が決めるのだろう。
貴方は自分にとって特別です。そういえば、関係は自動的に特別になるのか。
結局、特別だといってほしいのは、弱い立場の人間が安心したいからだ。


そんな形で、何も決まらずに話はおわった。
二人は仲良く帰った。
これまで、ごくたまに、少しだけこんな話をしながら、長い時間ずっと笑ってずっとそばにいた。
自分の気持ちや今の関係はけしてカテゴライズできないし、自分でさえ整理して理解することも出来ない。
でも、心から彼にありがとうと言える。それが良かった。


後大事なことがもう一つ。

俺は彼にはかなわないと思っていた。
自分が彼に執着していることを理由として、自分は彼に対してだけパワーバランスで下の存在だと思っていた。
ここまで考えてはじめて気づいたのは、そうではなくて
生まれて初めて、対等な関係を知り、持ちつつあるのだと気づいた。
対等とは、こういうものだったのだと学んだ。
自分にとって少なくない不利益が出る意見を相手がもっていたり、根幹的に異なった立場に相手が立っても
相手を尊重しているからこそ、痛みを伴いつつもそれを受け入れることのほうが自分にとって自然だということ。

今まで自分には、そういった概念は無かった。
あらゆるものがどうでもよくて、執着する相手なんかいなかったから、誰がどんなこと考えてようが関係なかった。
だからもしかしたら、相手が気に食わないことしたらどうでもよくなる、みたいなプロセスが自分の中にあったかもしれない。

自分にとっての彼の大事さがあって
彼が誰とでも対等であろうという姿勢を体現しているのを見れて
彼と対等な関係になれて
大事なことを彼から学べた。







10月4日
■酒
その後、2度の送別会を29と30にやった。
出来る限り多くの人と最後に語ってほしいと思いつつ、罪悪感を感じながらもずっと彼のそばにいた。
自分が先に席を決めて座ったから、しようと思えば彼には他の場所にすわるという選択もできた、と自分に言い訳をする。
ずっと一緒にいれてよかったけど。

30の午前中には大きな喧嘩をやった。
といっても、静かな喧嘩だ。
たいてい、どちらかがまず不機嫌になる、そうするともう片方が語りかけたりしても
期待する反応がこなくなる。だから片方も不機嫌になっての繰り返しで、お互いしゃべらなくなる。

でも、1時間もすれば二人とも忘れてしまう。
俺は、時間が経てばまた傍に行きたくなるし、相手は俺がもう来てくれないのかと少し心配になる。
傍にいて楽しければそれが一番良いから、仲直りせずとも仲は直る。

最後の日、またすぐ連絡をすると彼は言った。
電話しましょうと。
俺は居酒屋から帰りの駅までないた。
彼から誰かに連絡を取るというのは、彼の常識から言うとないので
連絡をくれるといってくれるのは彼の精一杯の誠意や気持ちだ。

10月にはいってからとにかく寂しい。
夜部屋に一人でいるだけで、涙があふれてくる。
1日会わないだけで何がそんなに寂しいのか。
9月にも1日二日会わない日はあったのに。それに、今生の別れなわけではない。

でも、別れというのは、もう会えないと思って分かれるのが正しいのだと思う。
どのような別れであれ、やはり、何かが決定的に変わる。
それだけの覚悟を持って臨まないといけないと思う。

文字通り、ずっと一緒にいる理由というのは、探すのが難しいものだとおもった。
それどころか、月に一度だって、会う友達といえば限られてくる。
恋人とだってつきにどれだけ会うかどうか。
でも、自分は、いまだに1秒でも多く一緒にいたいと思うし、それが適わないというだけで悲しい。
それがかなえば本当に他には何もいらない。

自分自身、恐れを抱くほどの気持ちの強さだ。
それも源泉がよくわからない。
断固としてあるだけでなく、大きなエネルギーを持っている。

今日少し話をしてみようと思う。






10月4日
■愚か
愚かだった。
過去に学んでいなかった。
未来から逃げるなといわれて、何かできる気がしていた。

何もできるわけが無い。
いい方向にいくわけが無い。
満たされることは永遠に無い。
何にも期待しなければ、これだけの痛みを味わうことも無かった。
経験を未来への糧とすることなんか、今は考えられない。
この苦しさとこの痛みとこの辛さを、そばにおいて置けるわけが無い。
愛憎ほど心を焼くものを知らない。

もう何もいらない。
なぜこの感覚を忘れたのか。
何もいらない。そうすればこの気持ちはもう味あわなくてすむ。
何もいらない。

なぜ、希望など持ったのか。
そんなものを持つから、人は死にたくなる。

誰も届かない。

自分の愛の強さと、そこからくる憎しみの強さを二度と忘れるな。






10月5日
■寝た。
寝た。「怒りが発散できずいらいらすること。腹が立ってどうにもがまんできない気持ち。」に満ち溢れた夢を見た。
起きたら、人格が壊れそうな位の怒りが、だいぶ収まっていた。
ハイペースで糞くだらないことを書いているが
何かを書いて、自分の気持ちを整理するのは、自分の昔からのやり方だ。

楽しみにしていた約束を忘れられていたら、がっかりするくらいは許される。と思う。
昨日は、失望が怒りに変わってしまった。
でも、失望や怒りをあらわす事は決して身のためにならないようだ。
ショックだった、と伝えるだけでも、だめなようだ。
少ない時間しか共有できないのだから、喧嘩をしたり、お互いを傷つけあうために割く時間などは無い。
そうでないとしても、楽しく幸福であるために割く時間以外は持たない方が良い。
そう考えた方が良いようだ。
といっても、もう、それ破っちゃった後だけど。

すごい楽しみにしてたんだけどなぁ。
連絡をくれると言ってくれたときは、途轍もなく嬉しかった。
それは俺の方だけだったみたいで、すれ違いだ。
多分、ここですれ違うという事は、どちらかが根本的に認識を改めなければ延々とすれ違う。
つまり、それは、俺が相手のことをもっと「どうでも良い」とおもえるかどうかってことだ。
無理かもしれない。それは相手を傷つけたり負担を与えたりするってことだ。
相手には何回も言ってるけど、多分そのことの本当の意味をわかってない。

一つだけ、昔と違って希望が持てるのは、彼を人生から切り離す覚悟がある程度ついていることだ。
昔のときは、どれだけの愛憎に蝕まれようが、離れることなんか考えちゃいなかった。
今は、それが最善だとするならば、その決断を自分にさせてくれる何かがある。
そうすれば憎みあわなくてすむと知っている。

いずれにせよ、離れるのであれば、ゆるくはなれたい。
相手を想っていると相手に思わせたうえで、優しく離れたい。
憎しみあってから離れるのは、もう懲りた。

だいぶ穏やかな気持ちになってきた。
何もなかったことにするのも、もう少しで可能なくらいだ。
なぜ昨日の時点でそうじゃなかったんだろう。

今日連絡しないほうがいいのかな。
このまま、これで終わりというのも良いかもしれない。
あんなに仲良かったり、またみんなで会おうといってるのに、これで終わりだと少し職場で体裁が悪い。
でもそんなものも一時的なものか。

俺は毒だ。




何が自分にとって良いのか、正しいのか。
何がお互いのためにとって良いのか、正しいのか。
相手のためにとってはどうなのか。
とめどなく考える。
自分は考える人間だから、もう少し頭が悪ければ幸せだったと思うけど、やっぱり考える。
考えた端から言葉にする。

自分がショックを受けたことについて、そんなこと気にするの、と相手は逆に不愉快に思っているだろうと思う。
俺にとっては理解できないことではある。
相手の期待を破ってしまったら相手は傷つくだろうから、俺だったらごめんって言う。
気持ちを汲んであげれば、喧嘩になんかならない。
たったそれだけで解決するのに、彼は多分それすらしないだろう。
彼は、謝られなくても良いかわりに人に謝る事が出来ないタイプだから
めんどくさいとか、どうでもいいとか、自分へ言い訳をして、相手と向き合うことを嫌がって逃げるタイプだから。

今回のことも結局、自分ががっかりしたっていわなかったら、何もかも上手くいくし、いってた。
俺が自分の気持ちを削れば問題なかった。
要するに、相手のことを嫌いになるって言うか、どうでもよく思うというか、相手が自分に対して思ってる程度に思えばよかった。
そうすればすれ違わなくなるから、不和は起きない。

とりあえず、今日だけ、今回だけ乗り切りたい。
相手の気持ちを言ってもらって、俺は俺の気持ちは言わない。
そして謝ろう。謝れる俺が、謝ろう。
そして、今後は「謝るような事態」にすらならないように努力すると誓って、誠意を見せよう。
そして、関係を表面上修復して関係を安定させる。出来れば俺は、そこから自分の中の彼の存在をけしていく。
そうすれば苦しいのは自分だけですむし、強烈な愛憎にも出会わなくてすむ。
体が壊れるくらい心が暴れなくてもすむ。
なんだかんだいって、相手にとって、俺はどうでもいい存在だから
おれ自身がそう努力する事は、絶対に失敗しない。

相手にとって俺なんてどうでも良い、っていう事実を自覚していないからこうなる。
そこをよく自覚して、俺にとっても相手はどうでもいい、までもっていかないといけない。
この人生で、比べられるものがないくらいどうでも良くない相手を、どうでもいいものに変えていかないといけない。
自分に言い聞かせないといけない。

これを乗り越えたら、ますます完璧になれる。
彼が現れる前まで、すごく完成していた。
これを乗り越えたら、本当に穏やかになるし、今まで以上に何もかもがどうでも良くなって
何にも執着しなくなって
とてつもなく幸せにはなれないけど、とてつもなくつらいことにはならなくなる。






10月6日
■誤解
誤解だった。
彼が、週末に連絡するといってたんだけど、飲んだ帰りに言ったことだからか、その"週末に"というのを忘れてただけだった。
俺も俺で、週末のメールは"連絡くれるつもりなかったならショックだ"という意味のことをかいただけだったから
相手にとっては自分が約束をやぶったという自覚は無いので、???という感じだっただろう。
電話したら別に怒ってなかったし、誤解とけたら、相手もすみませんいってた。
あえて約束破り倒したのかと思って怯えていた。
もう懲りた。
ここまで悪い方に考えられる自分もすごいが、自分にとっての相手の存在がそれだけの可能性を持つ事がやばい。
愛情は裏返ったら全部憎しみになる。
自分が憎むだけだったらいいけど、お互いがその関係の近しさから再現なくお互いに対して生み出す憎しみはまずい。
中学のときのフラッシュバック?かもわからんけど
確かに地獄の淵から、地獄の中を覗いた気分だった。
中学のときのトラウマのフラッシュバックか。
そうかもしれない。
最悪の事態、が生々しく再現されるのはそれだからかもしれない。
一つだけ誇らしいのは、25歳の自分はそれと闘おうとしていると、自分で思えることだ。
相手のこと、関係のことを考えられている、様な気がする。
失敗かもしれないけれど、どうにか前を向こうとしている気がする。

そんなだから、今、安堵はでかいけど
今回のことは警鐘としての意味が大きい。
決して今回覗いた地獄は夢物語じゃない。
相手の中で、めんどくさいから、うざいになって、うざいから嫌いになって、憎しみになる。
あの地獄を実際に味わうくらいだったら死んだ方がましだ。

自分がそれを防止するためにできることは
まず、今はいつも一緒なわけじゃないから、負の感情やそれを伴う要求を相手に伝えないこと。
多分これだけですれ違うことはなくなる、はず。
後は出来る限りどうでも良いとおもうこと。

とりあえず、それを念頭に置けば大丈夫そうだ。





10月7日
■感情
これからどうすればいいのか考える。
彼と俺は部分的に似ているが、部分的には正反対だ。

彼は、現実的だ。
俺は、現実的に見えて、理想主義者だ。
だから、俺は会いたいとしかいわない。
彼は、会いたい場合は実際に今度何々をしよう、と言う。
誰かに会いたいとき、俺は会えなくても相手が会いたいと思ってくれれば満足する。
多分彼は、相手がどう思うかにかまわず、会えれば満足する。
対照的だ。

負の感情を伝えないこと。
も、大事だけど、「相手は俺のことを嫌っている。もしくは空気くらいにどうでも良いと思っている」
と考えるのが一番良い気がした。そうすれば変な期待はしない。
彼は彼でたまに俺に話して、会って仲良く出来ればそれでいいだろうから
問題は起きない。

まだ、今のところ、致命的な瑕疵はお互いの関係に発生していない。
要するに、俺は中学生のときと違って、まだ今の段階では嫌われるほど相手に迷惑をかけていない。
そう思う。

でも、自分ほんとに悪い方に考えるから、もう嫌われてるのかもしれないとさっき不安になった。
でも、それは無いとも思う。
でも。でも。と考えがめまぐるしく変わるが
信じる。
俺が彼を信じてくれないと、彼も俺を信じられないと、言ってくれた。
命を懸けて、悪い影響を排除してやる。
ずっと俺にとって、相手がとても大事な人間であってほしいし
相手にとってもそうであってほしい。

少し固まってきたと思う。



最近、本当に感情の動きが激しい。
幸せな話を聞けば、涙が出るし
悲しい話を聞けば涙が出る。

感情があれほど停まっていたから
いったん動き出し始めたら、一杯動いてしまっているような感じだ。
少し戸惑う。


とにかく、迷惑だけはかけたくない。




10月12日
■不安
昼寝でもなんでも、睡眠をとるとだいぶ楽になる。
とりあえずたまに抑鬱ぽくなる。

今日はどうも、精神的に不安定のようだ。

別れの瞬間がお互いの好意のピークか良くわからんけどやっぱり
もうどうでも良いとおもわれてるような気がする。

まぁそうだ。
そもそも、なんでなつかれてたのか、よくわからないし。
そういう誰かに好かれるまでの流れが好きで
釣りをするみたいに誰でも良いから誘惑してるのかもしれない。
そうだとしたら俺がこっけいだ。
釣りを楽しんだ後は、ちゃんとリリースしてくれよ。
俺だから俺が必要なわけじゃなくて、俺のような役割を果たしてくれるほかの人がいれば良いなら
それを知りたい。それを知れば失望、というか絶望できる。

やっぱり、俺は会いたくてたまらないって思ってるのに
相手は別にたまに会えればいいかな、って思ってるだけだったら
それは関係にとって致命的だよな。
無理だよ。耐えられない。

俺に、気軽に何の抵抗もなく話しかけられる古い知り合いがいるように
誰にも自分から連絡とらない彼にとっても、同じような気さくな相手がいるんだろうな。
それだけでつらい。

そんなだから、やっぱり、関係はなくなったほうが良い。
だけど今、この気分だと、徐々に消えてなくなるのを待つことはつらい。
今までの俺の歴史のように、破滅的にぶち壊すのが良い。
そのときはつらいけど、ぐちゃぐちゃにつぶせば、生き返らない。諦めざるを得ない。
つらさの元になる感情が死んでしまえば、もう苦痛が引き延びない。
いやいや、愛憎は懲りたんじゃないのか。と自分に聞きたくなる。
どうころんでも地獄なのか。
残酷だ。
俺は「彼と会えてよかった」と最後に思っている自信がない。
情けないけど、無い。


愚痴だけど、何でメールかえさないんだよ。
前は気を使ってて、今は気を使ってないから
「相手に気に入られるようなの内容」じゃなくなってくるのはわかるけど。
メールめんどくさくて嫌いなのもしってるけどさ。
んならそういえばいいし、ちょこっと返せば俺喜ぶのに
何で俺の気持ちを一切おもいやってくれないんだよ。

で、こういう事俺が言い出すようになれば、めんどくさいって言われるんだろう。
そんで俺が謝る。
それがつづけば謝ることでさえうざいと思われるようになって、相手の感情を害する悪循環の一部になる。


次あったとき、楽しいことだけを考えて、その時間を楽しむ事が
出来るかわからない。






10月13日
■悪循環
睡眠をはさむと本当に違う。


過剰な想いから、自然でないものが生まれて
良い循環をしなくなる。
そこからどれだけ回転あげようが、すべてから回る。

こっから諦めない、逃げないってどうやるんだ。
立ち向かったら、悪い方向に向かう。
何もしなかったらそれでさよなら。
たたかわないでたたかうってどうやるんだ。
たたかう相手が違うのか。
向いている方向が違うのか。

典型的な、お安い、犬も食わない、何かにはまっている。

もう求められていない、ことを感じるたびに
どこかが冷めていく。
一気に死ねばいいのに、ゆっくり冷めていくと、切ない。



やっぱり、わかった。

自分の向いてる"前"は相手に対する自分の気持ちを、自分が満足するだけ伝えることだ。
自分がやりたいことを、自分が満足するだけやろうとすることだ。
といっても、そうすれば多分、嫌われる。俺は反動で大変辛い目にあう。
そんで終わる。でも、終わったものは、そうやって終わることが正しかったから、終わるんだ。

自分が逃げられる"後ろ"は、自分の力でただ関係を終わらせることだ。
もう本当に、一切関わりをもてなくすることだ。
あらゆるコンタクトの手段を断つことだ。
たたかわないが、おわらせることだ。どこかの出口に出る。

多分いま、ずるずると悩んで、色んな部分に考えが動いても
その前か後ろの間をいったりきたりするだけだ。

すっきりした。





10月19日
■消化



孤独な人間が居ました。
彼は、理解しあうことが出来ない人間でした。
なぜなら、自我が弱いために、"自分"を必死で補強して、そして支えていないといけなかったから
それにかかっているだけで、精一杯だったのです。
板や釘で打ちつけられた"自分"はとても丈夫になりましたが、変えないのではなく、もはや変えられませんでした。
そんな彼だから、自分を理解してもらいたくても一切のことが出来ず
誰一人も彼を理解できず、とても孤独でした。
彼の周りに居るのは、人を理解しようとはしない人たちでしたが、それでも楽しくやっていました。

そんな中、人を知ることが得意で、人を知ることがとても好きな人が来ました。
彼は、孤独な人が補強した"自分"を見て、色々なところを見るだけで理解し、褒めてくれました。
補強そのものについても、褒めてくれました。
"自分"というものはわかりづらいものなのに、伝えずとも理解されることが出来て、孤独な人はこの上も無く喜びました。
理解されるということは、孤独を忘れさせてくれるものでした。
孤独な人はありとあらゆるかたちで、人が好きな人を歓迎し、とどまってくれるように言いました。
人が好きな人も、それをうれしく思うと共に、ものめずらしい"作品"に魅入られました。
二人はとても幸せになりました。

しかし、それは長く続きませんでした。
人が好きな人は、もっと詳しく知りたがりました。
色々なことを聞こうとしました。
また、色々な意見も話しました。
孤独な人も、なんとなしにそういうことを言われているだけなので、悪い気まではしません。
しかし、支えるのに精一杯で、紹介は出来ません。
がち、がちと固めてあるので、変えることもできません。

人が好きな人は、魅入られていたため、昼も夜も作品のそばに居たがりました。
しかし、孤独な人は理解してもらっているだけで十分で、そうする必要を感じませんでした。
それも含めて、孤独な人は表現できませんでした。

人が好きな人は、もっと詳しく知っていくか、ここを去るか、どちらかにしたいと言いました。
孤独な人は、一度だけ、引き止めることだけをしました。
しかし、お互いの思いは結局、決裂してしまいました。

二人は、お互いのことを快く思っていた分、相手を憎むことをしましたが
人が好きな人は、どちらかというと残念に思って悲しむことをしました。
とても残念で悲しい出来事でした。

人が好きな人は、彼がくちるまで変わらずそこにいるであろう場所を後にして、先に進みました。
孤独な人は、今までどおり楽しく暮らします。

孤独な人をかわいそうに思うと共にうらやましく思いましたが、あらゆる意味で本当に孤独なのは、人が好きな人自身でした。
彼はいつでも相手のことを理解した分だけ受容できましたが、彼を受け入れられる人はいませんでした。
頼られることはあっても頼ることは出来ません。
強さとは孤独に集約していくからです。彼はいつも自分を超えた存在と、自分自身に会いたがっていました。

彼はいつでも最後の部分まで理解しようと努めて、より多くの悲しみを見つけました。
悲しみには寿命があって、悲しみを多く知れば知るほど、悲しいことをすぐに悲しめなくなってしまうのですが
彼はそれさえも悲しく思いました。



すべて終わりました。
1日もたたないうちに、何かが決定的に変わってしまった。
まず、微塵も切なくない。
心に刺激が無く、どこか軽く、暖かいもので包まれているようにさえ感じる。
真っ正直に自分に向き合ってきた自分として、これまでの醜くもある感情の動きが
こうも瞬間的に綺麗に落ち着いてしまったことを、恐ろしく思う。
7月のときより短い。あっちよりは強かったはずなんだが。

とりあえず、治療は終わった、という感じだ。
後は体力が戻るのを少し待つだけで、以前のように完全な形に戻れる。
理性はすべてご存知だったんだろうか。
今回もやはり、理性の言うことを素直には聞かなかったけれども。

やはり愛欲は禁断の果実であり、その強い味わいは何ものをも滅ぼす。
昔と違って、今のこの自分でさえ、やはりうまく扱えなかった。
結局自分は相手のことなど一度も十分に考えていなくて、終始"自分"に振り回されていた。
申し訳が無いことだと思う。
ずっと自分とたたかっていた。そして、自分とたたかえる人間なんているわけが無いと改めて思った。

また、こういった形が最善の形であって、こういう結末を迎えられて本当に良かった。心から良かったと思う。
もっと早い段階で自分に意思の強さがあれば感情も良い形で残したままこの結末を迎えられたのだけど。
でも、本当に残念で悲しいことだ。関係の喪失って人が生きるということを象徴している。他者の死に似ている。
今だったら、執着も消えたし、良い関係になると思うんだけど、死んだら生まれかわらないからね。

次は何十年後だろうか。

今日はプロマネ試験受けてきて疲れた。論文で手も疲れた。
それと、最近結婚願望が沸いてきた。
今年は以上。






10月25日
■番外

今日大事な友達とあって少し考えたのは
人間関係の中で、意識した分だけ無意識さ、言い換えると自然さというものは失われていくんだなということ。
人間関係に執着した経験が少ないから、こんな簡単なことさえ、再認識する価値がある。

人間関係においては、この無意識でいて成り立つという事が非常に重要だ。
関係は自然と調和するものであるとは思っていたけれど
不調和に陥る仕組みは学べていなかった。


もう一つ、人間関係における自分の立ち位置と、ある傾向を持つ人間とのかかわりについて。
自分は、自我に深刻な欠落の無い人間、要するに普通の人間ともコミュニケーションがもてるし
自我に深刻な欠落のある人間、要するに少し変わった人ともコミュニケーションが持てる。
しかし、この場合においてどちらとも交流できるということは、自分はどちらにも属さないということを意味する。
つまり、自分と"話せた"から仲間だと思われても、結局欠落のある人間からは拒絶され、仲間になれない。
新人君との件も、このような要素を多少含んでいる。

彼らは単純に欠落している。
でも、自分は、彼らを内包できるだけだ。"在る"も"無い"も包めるだけだ。

その上で一つ問題なのは、自分が他社の自我における欠落に魅力を感じるケースがあることだ。
ある感情やら性質が"無い"ことで、"在る"人間を超越することが出来る部分がある。
だから、自分にとっては時に自我の欠落がとても滋養のある栄養に見える。
何とかして吸収したくなるときがある。
そこに自分が執着しなければ、居心地の良いほろとして
そのような人たちにとって穏やかではあるが大事な存在になれるのかもしれない。

自分が求めるのは、在りながらも無い、ことだ。
それは、ただ"無い"人間には、うかがい知ることさえかなわない部分だ。


今日あった大事な友達は、7月に3週間で振られた女の子だけれど、話してそんなことを感じた。
一つ目に感じたことも、二つ目に感じたことも、彼女との状況を通して感じた。

今、お互いの関係はとても絶妙なバランスの上に成り立っている気がする。
安堵と危機感を同時に感じる。
彼女は欠落を持つ人間の側で、自分とは無意識に相容れることは無い。
強い絆を積極的に求めたりするような心の動きも自分には無い。
ただ俺は、彼女がとても大事な人間だと、穏やかではあるが感じている。
つまり、それを多少意識(認識)しているため関係の調和が崩れる働きがあると共に、無意識に調和を保つ働きもあり
その上で、バランスが危ういけれどもとれている。

彼女が気に入らないと感じたらそこで終わる関係ではある。
そうしたら、本当に何もかも失うことになるとは思うが、それは7月の時にもそう思っていたはずで
その辺は、考える価値も無いので考えない。眠いしつかれた。

とりあえず、彼女が俺という存在を受け入れようとする時(した時)、そこには痛みが伴う(伴った)はずだ。
それはすごいことだ。

また、3ヵ月後くらいに会うと思う。






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