独り言


7月22日
最近独り言を書いていない
書く時間もないし、現実にバイタリティーを消費するため
その余裕もなかった
BBSみたいに簡単に書きこめたらいいなぁ

感動とは、興味から出てくるものではない
興味というものは本当に身勝手だ
しかしおおいにきっかけとなりうる
傲慢さは嫌いである 


 男、特に若い男、は心理学的に自分を特別だと思いこむ傾向が強い
そしてそれは生きていく中で失われていくという
確かに身の回りには特別な存在が腐るほどある
だから錯覚するのだろうか
特別じゃなかったらどうだというのか

 「青が散る」よみおわった
自分の読んだ本を紹介するってのもいいなぁ
この世にある膨大な書物のなかで巡り会えた
みじかい一生のうちで巡り会えた
自分がすばらしいと思うものは、断固としてすばらしい




7月28日
人と出会うということは自分にとってとてもいやなことだ
結果的に何らかの人間関係が出来る
人間関係が出来るということは多少の責任も生じる、自分は気を使うことを放棄したいのに
だいたい完全に出会って良かった人などいるわけも無く
詰まりは気がね無しという人間など自分の人間関係の中で一握りにしか過ぎない
そして人間は変わってゆく、そして自分の期待通りに変化しなかった場合
うまく付き合えなくなっていった場合、いやな人間にであってしまう、いやな人間関係を作ってしまう
という、自分が出会いをいやなことと気づくきっかけになったことよりも
最悪の状況に陥る
ぶっちゃけた話。自分にとってリスクがでかすぎる。
いやな人間関係または人間とのいざこざの嫌悪感で
出会いの喜びなど吹っ飛ぶ
失うことの怖さを、失ったことの無い人間は知らないといえるだろう
しかし人間には生きているうちに人間から恩恵を受ける
残念ながら1人で生きていくのはとてもむずかしい
だから少ない喜びを強調するのだろうか?





7月28日
自分という人間は鋼鉄のような人間であると思う
しかし針の先ほどの面積に触られただけで完全に参ってしまう、そんな弱点がある
こんな事をいってもどうにもならないのだが
そういう人間だ
鋼鉄であるがゆえに死ぬ間際までキケンには気がつかないだろうし
周りを見下す
しかしなぜか心のそこでは自分でさえも見とめ、納得できる人。いや人でもなんでもいい。
そういうものが現れ自分を導いてほしい
というような願望がある
いまだそんなこたぁーないけど。自分より深いななんて感じた人間なんて1人もいない

そろそろこの世から出してやすませてくれなどと
思うことも有るくせに
最近、いつか自分は死ぬのだ、とはっと気づいて
びくっとしたこともある

色々あった、感情は無限大、想像もつかないような次元にまで達することも。
自殺、殺人。思い込みであったとしても、だれにもわからないとしても。
俺がいかに、馬鹿なやつだな〜と思ったとしても・・・・

現かいってのものは簡単に伸びる
伸びると世界が広がる、新しく補強された自分にきづくことだってある
泣けば泣くほど強くなる、哀しめば哀しみがわかる
涙がかれた人間ほど強くやさしいと思う
ちっぽけな人間の一般論だけどね





8月11日
独り言には思ったままをそのままかいている。昔からそうしてる。
かく前にちゃんと整理されてればスッキリとまとまるけど、最近は支離滅裂だ
さらには家にいるときなど書こうと思うことが浮かんでもすぐ書かないと頭から消えちゃって困る
偉い人の格言、見たいなこともガンガン頭に浮かぶけどどんどんきえてく
大隊なにかを短く言いきればなんか高尚そうにみえるだけで、全然役にも立たないことがほとんどだ
だからなのか書いたことなんてかくそばから頭から消えてく

最近ヒット数が前にも増して少ない、ってメインのコンテンツが無事に機能してないから当たり前なんだけど
そもそも自分のページには一般人むけのコンテンツなんてないなぁ
友達に見せたんだけど、そうおもった・・・
なのに掲示板だけはなんとか機能してくれて自分としてはわびしい思いをしなくて助かってる

夏休みからだからなのか俗にいう厨房がおおすぎる、あまり詳しくないひと、とか全然わからない人
ってイメージじゃなくて、まさにイメージは「厨房」なんだよなぁ。なかなかいい言葉だ
串すら何かわからなくてフリーのメアドすら一つも持ってなくて
背景色にあわしただけの隠し方すら見ぬけなかったころを思い出す
そういえばあと1ヶ月ほどでHPも1周年のはず。1年はこの世界じゃかなり長寿だとおもう
昔良く巡った、まさにオーソドックスなHPなどもうなくて
今だやってるとこなどを見つけると厨房になってもいいからむしょうに初心に返りたくなる
ここできっちりいっておくが今のえみゅの世界なんてUGじゃない。
すべてが見えてる世界はつまらない。現代の日本のようだ。わしに言わせると若造どもが幅を利かせてる、なんておもう
ただ利益が欲しいだけのえせアングラーがふんぞり返ってる。わかてるだろ、きみ、そこの君のことだよ(w
それにしても最近多い。裏ニュースの掲示板などは異常だ。変な質問ばっかある。

最近良く話題に上がってるのがDCのあれだけどDLマニアの格好の的だね(笑
それにしても自己満足するのはいいが、さもそれを自慢気に話題に上げるやつは好かん
でもすごいとおもう。もし回線が10倍とかになったら流通しまくりだろうなぁ・・・・
あっ、そういえば盗聴法って可決されたけどどうなるんだろ・・・・
自分もCDRと後HDが5倍くらいあったらやりたいのだけでも落すんだけどなぁ・・・・
憂鬱になるようなことばかりだ

今気づいたけど逆にネットのほうが気を使ってるなぁ
ネットの888としての存在のほうがまともってことかな・・・
HNなんてもちろん言えないけどむかつくやつだってもちろん数人いる
ネットって弱いやつにはやさしいよなぁ、言葉だけの世界だから
なんだって言える、強がりだって言える。人と対面するときの気負いなんて微塵もない
リアルの知り合いとネットで議論するのはやめてたほうがいいよ(^^;
むかついても殴れないし、殺せないし(笑
現実より、いやなやつにあうとショック大きいよ

そういえば今日、風呂場でおなかの肉をつまんでみたら皮だけだった
独り言でも太ってきたとかってかいたのになぁ。痩せとる!(喜

長く書いたけど、まぁ、つまりヒマでした・・・







8月13日
部活の先生が4日間の休みに入る前にきれた(よくきれる
お前らがやる気がないなら夏休み後半も一日飛ばしで練習やってきゃいいとかいってどっかいってしまった
前は、俺は男だから細かい事は気にしないが、とかいってまた練習に入ってきた
今回はどういう手を使うのやら・・・と思ったらゼ午前中こなくて無言で入ってきて練習に参加して
何事もなかったようにやってる。あれだけきれてさらにどっか行っちゃって、なんだよ・・・ってかんじだ
うちの部で一番、自己いのは間違いなく先生だな・・・・
        じこ

そして今日、そういう手を使ってまた練習に参加した先生にみられつつ
練習をがんばっていた。だいたいかなり走りこんでるんだから水の補給さえしっかりさせてくれれば
そうそうはばてないのにあの先生はまったく飲ません。というか雰囲気で飲めん。
そりゃ効率悪いだろ、あんた・・・っていってやりたくなる
が、午後だし、4日間やってなくて午前中みんな気持ち悪くなったとはいってもちゃんと動いたし
体力ではなくて頭を使う練習だったからきっちりやっていた
知ってる人は知ってるとおり1年のときは全部部活サボっていた
さすがに高校の1年はおおきい。想像以上に高校のスポーツというのは体力が基本となっていて
最初の3週間毎日7キロはしってもついていけんくらいつらい、どうも累乗になっていて
小学生の時のきつさに中学と高校と・・・足し算くらいのきつさの上昇率じゃない
大学はこんなんよりもさらに全然きついそうだ
話が横道にそれたが、そうやって練習をしていたところ
バスケットというものは体の接触をきんじてるが接触があるスポーツで
人とぶつかった、そうしたら今日、脱臼した。半端じゃなくいたかった
最初、ボギィッとか変な音したから折れたかと思った、折れるのがどれだけいたいかしらんが
死ぬほどいてえ。実を言うと大きな怪我なんてほとんどしたことなくて脱臼でも人生ベスト3にはいる
自分で自分の手を小突いたくらいだったら、なんか押すって感じずっとのこってるような・・・痛みって妙だな
とか第3者的視点になってみたりしてみたりもできるけど、んなもんはできん
右手で支えつつ、いたくて青ざめつつ病院にいきましたとさ
病院の先生もなかなかナイスガイでやさしかった。まえも土日祝日のときにけがしてきたけど
そのときのテーピング切ろうとして足切ったばかやろうとはおおちがいだった
で、恐れていた、「はめる」という行為が。むちゃくちゃいたかったけどぽこってかんじではまって
それまであった痛みが嘘のように消えた。折れてなくてよかった・・・
絶対折れてると思ったんだけど
今日は怖い思いをした


9月8日
今日は新宿鮫をよんだ。お題?はよくある刑事ものだけど文句なしに面白いね
だいたい文章というものが存在するようになってから人類は幾千万もの
文章を書いたわけで
それと同じ数の結末、すとーりー、お題、が存在するわけだ
同じようなものがごった返してるがそれなのにまだ新しいものを見つけて書く人がいる
感動とか面白さというものはいったいどういうものから引き出されるのか。
とても不思議だな。

新宿鮫に書いてあったが、警察でも大卒、高卒でまた昇進への道は違うらしい
単純に当たり前のことだがすごくショックだ。自分自身への評価とかそういうものは別にして
まだとても世間知らずだな。
それにしても露骨に待遇が違う。何をするにも勉強をせねばいかんのか
勉強なんてしないでもいい。なにか目標があれば、なにか成し遂げたいことがあれば
人間は最低でも少しくらいなら努力するようにつくられている
努力とすら思わないようにだってなる
残念ながら自分にはご立派な目標なんてものはないけれど
所詮自分勝手でも印象さえ良ければいいのだ

夜というものはすごく神秘的に思える、ものには鼻で感じるんではないにおいと言うものがある
夏の思いでとか雰囲気にすらそういうものはある、じとっと湿った夜のにおいがなにか神秘的だ
暗闇に包まれると言うことがこんなに安心感をもたらすものだとは思わなかった

最近、質がさがっちまった!だからこそ新しい物事を見つけ出し書く人はすごいとおもう

DQは面白い!

みんななんで音楽を聞くんだろう?





9月21日
久しぶりにむせび泣いた、スラムダンクをよんだ
今の自分の心がさばくなのだとしたらすずめの涙ほどの水滴でもその感動がもたらしてくれたのかもしれなかった
何もないところに何かをもたらしてくれたのかもしれなかった
この漫画は完成している、そう思った


ぶっちゃけたはなし俺にとってすべてがどうでもいい
ただ、いま感傷的になっているとしても、これは俺の本質とは何らかかわりがない
すべての物事というくくりで、俺にかかわることすべてがあらわせるとしたらすべての物事がどうでもいい
たとえば自分の人生の99.9999・・・%をしめるものがなくなったら
ほかのすべての物事がどうでもよくなってしまうのではないか
これは想像できる範疇にはないが、わかりやすくいえば1億円落とした後で1万円落としたって何でもない
今きづいたが自分が何を言っても何を考えても一つのことにつながってしまう
すべての本音の言動をたどれば、ひとつのことが手繰り寄せられる

自分がひとつのところを目指していきる
その間、まるで何気なく生きてるようにみせかけたとしても
ふとした瞬間に、ふとした間に、どうでもいいという思いが強くなることがある
何気なく生きていると見せる間に関係してる物事、これに嫌気がさすとき
ただ一つのところに向かっているはずなのに、その思いは強いはずなのに
どうでもいいという選択肢が出てきてもかまわないということは
つまり、自分にとって崩壊と自分の目的、は同じ意味を有するんだろう

そしてその意味は何かしら開放につながっている
死、犯罪からすべての崩壊、目的の達成、etc
束縛とは逆に力を与えてくれる、深い意味だが
そして俺にとってその束縛はほとんど束縛ではないくらい、おれは大きく束縛されている
だからこそ自分を至高の存在だと信じる
意味がわかるかなぁ、つまりある部屋に檻がある、俺は檻の中に束縛されている
そしてその部屋の99、9999・・・%を檻が閉める、つまりその部屋が世界の全体だとすれば
ほとんど束縛はされていない、しかし事実は違う

なぜ、真実を書き記そうとするのか
それはわからないが、なにかのこしておきたいんだろう
自分はいつ死んでもいい。というよりも早く死にたい、どうでもいい。
いずれにせよ、答えを導くのは時間だ。今の時点では完璧な予測しかできず、事実はやってこない

俺の人間としての感情、本能、それはちっぽけな器だ
俺の言ってることをおさめるにはたりない
だから死ぬとしても死から逃げられない状況に陥らせてほしいとねがうわけだ
逃げれれば俺は逃げるだろうから

もしこれがうそだったら、作り話だったら
それはありえる、だから恐ろしい





9月25日
自分の好きな人間に阿川佐和子がいる
今日も「ああ言えばこう嫁行く」をよんだ。前作がベストセラー(今作も?)になった、壇ふみとの掛け合いエッセイである
生き生きとして非常にいい、おもしろい。こうでこうだから読め、とかこうでこうだからこうだ
なんていう風に細かく言えるわけではない、自分は読みたいと思うし、そんな内容なのだ
ビートたけしのテレビタックルにもでているが相当に若く見える
まだ独身らしいが、自分だったら好きなのになぁ・・・とおもう
やっぱし結婚っていろいろ複雑な要素が必要なのだろう
あのような女性が好ましく思えるじぶんは、この先結婚などするのは難しいだろうなぁ,と思った

大体、人間関係などというものは最初はこう両方とも初々しく、そして徐々に分かり合っていくものだと思う
現代の若者はなれなれしくしあい、いいかげんな関係になることを
友達になる、とか恋人になるとか、思ってるのでは?
さらに、それを美徳としそれになれることにある種の自慢すら抱いていそうだ
子供のころはいつのまにか友達ができていた
今になってクラスメイトなんかと親しくなってきたなぁ、とほのぼのと感じることが
結構うれしいものである

ネットとは特殊だ、はっきりいって見世物だとすら言い切れる
見世物にわれわれは一喜一憂するのである
荒らすもの、威張るもの、媚を売るもの、かかわらないもの、一般的な者。
すべて、こちらに関しては、ただのネット上での情報にしか過ぎない
相手は自分のポートを偽ることも閉めることも、そこから攻撃してくることも可能
人間関係も同じくお互いにつなごうと思わなければ
関係ないじぶんにとってはただの見世物だということをしっかりと理解して、冷静に見物したいものだ

<PRE>って閉じれん、なぜやろ・・・





11月1日
日記とか文章を残すとそのときの気分、そして時期によってぜんぜん違うからまた面白い
今自分はどこの大学に行くか、溶かそういったことを考える時期で
ちょいと人より考え始めるのが1年ばかり遅かったようだ
すでに絶望的である・・・、まさに自業自得、簡単に日本のような学歴社会がどうたらこうたら
と化言うことは出来るけど、後の祭。後悔先に立たず。
そしてまた絶望的なのはこの今の気分を昔の俺にそっくりそのまま伝えたとしても
自分は適当にやってるだろうということがなんとなくわかる
自分を1番知っているのは自分だ、ということを知ること
いや、あんま意味はない(^^;
そして今考えてみると定職について、いろいろとやってる人はすごいと素直に思える
自分の10年後の姿が容易に想像できないのが意外とつらい
誰かに自分の幸運をすべてあげて自分は死にたいとか、異常な、献身的かつ逃避的な考えがふっとうかぶ
目標、というものは実感できたひとにはよくわかるがかなりすごい。
軽く言われるというか軽く言ってると思われがちな場、人が多用するため
そう気にしてない人も多いかもしれないが
夢を持つことが出来た人は幸せだろうなあと思う

よくアフリカやら外国への旅行記のようなものをよむ
この前も田吾作、アフリカへ行く、だったかな、そんなものを読んだが
外国へは本当にあこがれる
いくらつらい思いをすると分かっていても、猿岩石やらチューヤンやらのように行ってみたい
というか多分誘われれば即決だろうなあ
相反するふたつのものが互いに良さを持ってる
田舎と都会とか
そう言う相容れない要素が世の中にたくさんあるけども
どっちかって個人の好みの範疇で言えば選べるものもたくさんある
自分はどっちだろう、かなり悩むが
とりあえずもう少し古い時代と今を比べれば、自分は迷わず古い時代を選ぶ
なんか重い違いをしてるのかもしれないが
悩んでないってことは悩むべきことがあるのだが気にしないということとは違う、ということが
分かってきた

最近寒いなあ。部活、よりも将来のことのほうが重荷だ。




11月11日
親父の友達はよく集まる
年に1回、夏キャンプに行ったり、山芋会を開く
子供のころからそれに参加してきた、そして今日も久しぶりに山芋会に行った、みんな酔ってたよ
親父の同級の子供なんかも中学、高校になり、自分と一緒で参加も減った、それは残念なことだ
親父の世代の人たちはなんかいい、愛すべき人たちだ。人間に年齢の深みがでてる、それがやさしい、と思う。
俺の親は根がまっすぐなゆえに、不器用なゆえに、愛情が間違った方向にいったり
押し付けになったりしているのかもしれないが
一回殴りあいにもなったし、俺が論破することもしょっちゅうだ、馬鹿だからねえ、悪い意味というわけではなく
今の俺と同年代のやつらにはこういうが感覚わからないかもしれない、別の種族なのかも?
何かを考えるということもほとんど無いのだろうし、感じるということも少ないのかもしれない
少なくとも今まで、自分にあるものを持ってるなぁと思う、クラスメイト、友達とかはいない
自分自身も誰かとあんな雰囲気を醸せるか、というと同年代ではムリだろうね
だけど今の子達にはそれが普通で周りにいるのが仲間なんだろう
俺の、そして昔の世代の、仲間は確実に減ってる
すべてが、作られたような雰囲気が当たり前になってる
昔はよかったなぁって言葉をいう、大人たちの気持ちがよくわかる
俺たちの子供のころはなぁ・・・とかね
今の時代、そういって昔は幸せだったということに気づいているのだろうか
人間的な面だけで言えば日本は確実に退廃している、俺の周りだけってことはないだろう
経験が足りないということは完全に客観的に見れば不幸せということ、いろんな事をしり、考える
それはより、幸せに近づく、深みにちかづく。俺個人のみかたとしてではなく、完全に客観的に見ればだ
いろんなことについて考えたり苦しんだり一生懸命になったり、そういうのが普通の子供にはムリなのに
登校拒否者、いじめっ子、そう言う子達にはできてることがおおい
本当に心が捻じ曲がってるのもいるかもしれないが・・・

思想や思いというものはわかり合えるから意味がある
「昔」は消えていくのだろう、だんだん機械に近づいていく人間たち
もっと多くの、もう少し人生を歩んできた人たちとであって語って、ここにかいたことが間違いであるということをわからせてほしい
もう一度言うが思想や思いというものはわかりあえるから意味がある。
だから最大の壁、敵は無関心である。



11月16日
どうも人間ってのは回りの人間に気を使わざる終えない
体裁やらもかなりきにする、日本人はとくにその傾向が強い
さらには日本人はとても優秀である、普通の水準が高い
普通、就職する、普通、大学や専門学校に行く。
自分があせるのも将来について考えるのも。将来食べていくためではなく学校への体裁、親への体裁
祖父、祖母への体裁。社会への体裁。それが大半なような気さえする。
どうも自分は社会不適合者のような気がする、大体刑務所に入ればただ飯が食えるとチラッとでも思っただけで
自分が好ましくない人間だとは思う
がんばらなきゃどうしようもない、やりたくないことでもやらなきゃしょうがない
それをまず、成し遂げたんだからこそ今普通に働いてる、そういう人たちがすごいと思う
それが普通、常識であっても。
大学に入るのにどうしてあんなべんきょうをしんといかんのか、普通に抱く疑問だが
どうもやりたくないことでも一生懸命やる人を社会が求めているらしい
それとふるい落とし。学歴社会というへんなものが一般的な日本ではふるい落としの必要があるらしい
自分の中では矛盾がこすれあってるが、とりあえず生きてる限り、やるしかないんだろうな
いきるために、親のためにも挫折はできないとかおもっちまうし

友達というのはとても定義が難しいというか個人個人考え方があるだろうとおもう
そもそも友情という言葉を作ること自体おかしいとはおもう
精神年齢によって変化が多すぎる
昔はいつのまにか一緒に遊んでたような気がする。中学生くらいは
だけど高校生になってなにか感覚が変わり始めてきた
一般的に年をとればとるほど一般的に言われる友達がつくりにくくなってくると思う
大して話してなかった奴でも小学生から知ってたりするとそこらの奴より気がねなく話せたりするもんだ
自分が1番友情を感じる?というか友達にされて嬉しいことは
しかられることだ。怒るとも違う、罵倒とも違う、喧嘩とも違う。
これは友達が自分のことをある程度理解してくれた上でそれについて自分がどう思っているかを話してくれる
ということにもなる
普段とは違う友達を感じられる上に悪い気持ちはしないものだ
まぁ逆にしかられると相手がえらそうでやだとか思う人もいるかもしれないが、千差万別。
せいとに対しても友達に対しても、子供に対しても、うまくしかるという行為はとても難しいことではあるが
真剣な意見はその個々の人の人格の変化や、価値観の変化にとても重要で価値があることだと思う
しかってほしいということは誰か自分より大きな物に頼りたい、甘えたいという心理もある
普通はこれを親父がしてくれるもんだが・・・俺が逆にしかっていては世話はない。




11月25日
イメージってのはどうともしがたいね
外国とのこととかについてまわるね。負のイメージってのはほんと厄介だ
元から人間てのは、理性を維持できない
怒る必要などないのに、あせる必要などないのに。それはもう確実に。
しかしそれらを誰かに向かって絶対にしないっての弱い人間であればあるほど不可能なんだろうなとおもう
それなのに、もとからよわいのに、さらに「イメージ」がその弱い、恥ずべき行為を正当化して見せてしまう
失礼なら怒る。昔の出来事。悪いイメージだからと怒る。怒らないということのほうが数千倍難しい
そして、その怒りとともに遂行される行為はけして怒りをともなわなくてもできるのだ
たとえば自分の子供を殺した仇を怒って殺すことは当然なのかもしれないが
零世に殺すことだってできる。そしてそれは難しい。常識で見れば自分にとって、一般常識にとって
悪いことだから怒るのが当たり前。そういう風にイメージが正当化させてしまう
昔日本は残虐な虐殺をしたから怒って当たり前。
昔の世代の方が
流されやすく、物事を噛み砕かないということがおおいね

いま自分の友達、知人をおもいうかべてほしい
一回でも誤解や不手際、等々からちらとでも憎しみを抱いたことのない知り合いはいるだろうか
どうもいるのが当たり前、そしてそれは何気なく人生を通過していく、それでOKらしい
どうも人間はそうらしい
自分が聖者だとは言わないが、どうも自分は耐えられない。
そのちらとでもまちがいを起こしてしまった間柄が親密であればあるほど
だから昔の友達には会いたくないんだろう
可能性がきえて、終わって、安心したから
わかりやすくいおう、自分はわがままで、他人への一片の失望を味わいたくない
普通の人と比べて、その「嫌さ」が我慢できない。ということをいった
だから人間自体に失望、人間を嫌ってる。まぁあまり深刻にかいてもなんだけどね
俺のことは俺だけが知ってるのはなかなかめんどくさいなあ

部活がつらい。運動がつらい。仕事、勉強とは違ったつらさだ
緊張感、厳しさ。心底疲れた。
小学、中学のときはおぼえてないがとりあえず高校に入っては最大の倦怠感だ
もう学校もろとも行きたくない。明日午前練習。あさっても午前練習。
開放してほしい。解放だな。
明日は、来週は、来年は。どうおもってるのか、終わってほっとしてるのか
耐えきれているのかどうか。
まったく日記ってのは、その瞬間の感情を記録するのは。
有意義なことだと思う。はあ。





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