独 り 言


1月29日
■物事に感動したということは心を動かされたということだ
心を動かす力が強い作品は一般に感動的だともいえる
小刻みに揺らしたり、最後に大きな押しがきたり、いろいろな芸術的作品にであうと
その一つ一つがまた違った力を持っていて面白い
時には自分が感情を動かさないように固定しようとしても
それを根底からさらっていくような強い力を持った作品もある
これは自分の心の弱さを恥じるべきか。素直に作品の強さを褒めるべきか。

■人間とは面白いもので、深い
余暇、生活的余裕から生まれるさらなるコミュニケーション
もちろん子供にもその環境にもそのまま受け継がれていると考えるとすれば
先進国の現代人は人間性を順調に発達させていると考えるべきだろう
より複雑に。高度に。
これは間違っていないと思う。最低でも退化の度合いよりも進化の度合いの方が大きいような気がする。
しかしそれによって先進国が抱える問題は結果だけ見ればあきらかに人間性の退化なのではないか
そして一報では深い考えを持つ人間が現れるているとしても
現在の若者の一部は「考える」ことになれていない
もう少し詳しく言えば「なにかについて自分の意見をもつこと」になれていない
たとえば人道的に非難されるべき事件をニュースなどでさらっと見た場合
ちらとでもなにかそれについて思うことがあるか
または思おうとするか、今の若い者はながすんじゃないだろうか
環境によってはある種のできそこないが生まれている事実も否めないというか
自分の認識不足かもしれないが、昔の人はなにかについてもっといろいろなことを思ったと思う
たとえ大規模な先入観にとらわれていた人達が大半であったとしてもだ
その行為自体は今よりもさきにあったのではとおもう
しかし触れたいのはそんなことではない
より高度に発達する人間性が逆に生物の本能とは相反しているのではないか
そして生存ということに関していえば破滅の道をたどっているのではないか
と思うのである、若者の事件でいろいろ騒がれたが彼らは決して前半部に言ったできそこないとは言えない。
確実にである
人間性の発達は本能の部分にこの固体の種をのこしてはいけないと語り掛けているのだと思っている
そしてそれがその固体の破滅を招く、それは当然の結果である
自分自身、人間という種の繁栄のためには自分の存在の証拠を今後に残すべきではないと感じる
それが最大の根拠
より人間的な理由によって人間性を尊重し,種の繁栄すらも軽んじるからだ
本能によって交尾する動物たちの本質が体内から薄れている我々は
欲の消滅がイコール種の滅亡である
人間性を高め欲がどこか予測できない別の方向に向かっていこうとするとき
人類はその歴史に終わりを告げると,確信する



1月29日
■自分は自分自身のことを特別だと自負する
感情は無限大 である、なぜなら人間は思いこむことができるからだ
感情世界の中では思いこめるということは無限になれるということだ
そしてそれが人間を広げてしまう
自分は他人を基本的に見下す、これは仕方ない
感情論など必要無い、もしも自分にとって友達が「いらないもの」もっといえば「嫌悪すべきもの」
であった場合に友達を思いやるということをしないばかりか、したくないとさえ思うはずだ
だから今においてはそんな不安定なもの必要無いと論ずる必要さえ,俺の中には無い
だからといって俺自身感情が無いわけじゃあない
あまり誇張して書くと勘違いされるかもしれないが、事実を書きたいがために誇張する
自分は自負をもっていると書いたが
その自負を守るために、もちろん戦って守り抜くために
認めるものは認める。間違っていると思うものは間違っていると思う。
自分の頭というフィルタを通してはんだんする
つまりは自分の価値観根本を否定されても何を言われても
もし自分が正しいと思っていたら考え方が変わるのは避けられない
感情などまったく抜きにして
自動的に正しいと思うものは認めるのである
自負を守るためにこうしていると書いたが
それは普通の人間であったら当たり前のことかもしれない
当たり前の事を当たり前にかいたが
今だかってその当たり前のことが現実となったことは無い
自分も賛成できるいけんなら時々見るが
自分とは反対の位置にあったがその人間のために逆に変わったなどと言うことは体験したことがない
体験したい
これを自分をかえてもらいたい願望と勘違いされては困る
認めるべき人間が現れてくれると言うことはどんなにかいいものかと自分は想像している
認めるべきというよりは自分の持っている自負を超えてくれる人間をだ
なんでこんなことを書く気になったか
ハンニバル・レクター博士の頭脳に感銘を覚えたからだ

■日本の書物はサスペンスが多い。外国のエッセイなどほとんど日本で出版されない
村上春樹は日本の文学を文体から否定してよまないそうだが
自分も英語が読みたい
もちろんサスペンスに分類されるからといって別に内容が薄いただの娯楽小説だというわけではない
その物語の中に物語はさらに作れるからだ
しかしエッセイという自分の考えを直接に映したものやほかの分野の外国小説も読みたい
世界における日本の人口などたかが知れているのだから

一般論で汚されることをひどく嫌悪する





2月8日
■どうも自分は先生方から特別視されることが多い
いい意味でも悪い意味でもなにかしら興味を引かれるようだ
よく語るし(w とはいっても一般の大人程度だとたいてい自分が話すだけだけど
大人としゃべるのはなかなか面白い
同世代よりはいろいろな経験からいろいろなことについて考えているからだ
自分が思ったことも無いような考え方が稀ではあるが飛び出したりするし
1対1の会話なら建設的に話を進めることだって可能だ
ネットとか多人数だと無理がある場合もあるけど

■考え方というのはその個人の外に対する視野に深くかかわる
視野というか価値観というか人生観というか
それでそれは大体経験と環境から人格にプラスαして作られるものだ
人を殴るなんて考えられない、なぐるっくらいどうってことない、そういう状況になれば殺すこともできる
という3人ではいい、悪い。高等、下等。どっちが上かしたかを別にして1番後者のスケールが1番でかい
そして視野は「大は小をかねる」事ができる
殺せるけど殺そうとは思わないと1番後者は考えられるのに対して1番前者はただそれだけだ
視野というか世界が広い奴はすごいと思う、会いたいし話したい。
俺自身よりもスケールがでかい奴には会ったことが無い
それはつまり、どうでもいいとは思わない奴には会ったことが無いということだ
友達がどうとかそういうレベルでの話じゃあないからただ聞くだけではつかめないかもしれないが
所詮人生なんて俺にとってどうでもいいことの集まりでしかない
でも別につまらんとかいうわけじゃあない、友達だって人並み以上にはいるし、バスケにだってうちこんでる
難しいが
最終的に簡単に捨てれるというか、う−ん
そう、比べているものが大きすぎるということかな
100億落としたとする、そのあと10万円落とした気分はどの程度のものか
「所詮どうでもいい」程度のことだ
しかし10万円自体は別につまらんというわけじゃない
上の言い方に当てはめればこうなる
無論ここでこれを読んでいる人にはどうでもいいことかもしれないが
自分にとって人生とはどうでもいいことの集まりでしかないのだ
だからこそ自分は普通なんぞではない
本当にどうでもいいことだがこれをどうでもいいと思う人は普通であって
何も問題無いということだ

■この世では罪を知らないものが罪をさばく
罪を知るものは罪をさばこうとはしない
しかし自分にとってはさばく、さばかないではなく
そんなことどうでもいいことなのだ



2月9日
■あれだね、日記みたいに書きたいのに変なことばっか書いちゃってしょんないです
そう言えば今日は幼稚園に教育実習にいってきた
幼稚園児とか5歳くらいの子供って何かすると必ず反応してくれるのが嬉しい
大人でのコミュニケーションのきまずさなんててんでものともしない
でも大人になってえるものも多い、そのうちに友達なんかできにくくなって来るんだよね
ここを見ても万物はすべてプラスマイナス0ってなことを象徴してるとか思ったり
やっぱし子供は純粋でかわいい、なんの悩みも無くて
不幸じゃない度でいえば子供であれば子供であるほど不幸なんて感じない気がする
彼らにとっては世界ってたのしいことだらけだろうなぁ

■自分は今高2、あと2ヶ月もすれば高3。
何がなんでも進路ってことについて考えないといけない
自分だけのことじゃないからね、親に養ってもらわないといけない状態になんかなったら
思うに日本人は優秀過ぎる、働くのが当たり前
海外に比べて「当たり前」の質が高い、怠けもんにゃあ困った事実なことで・・・(笑
というかほんとに笑ってばかりもいられない、世の中の大人がほとんど経験してる
だから当たり前って感覚が強いけど
人間一人にして見れば一生にそう何回も経験することじゃあない
自分はまともに生活していけるのかすら危ういような気がする
それももちろん高校での自分に対する評価がどうなっているかの予測も踏まえてとのことで
自分としては不安感満載
この問題の1番嫌なところは今は準備するしかできないってこと
気は焦るばかり、俺なんかが生まれるより
俺のこれから受けるちんけな幸せを全人類に少しでも分配してくれた方が
いいと思うのになぁ





2月10日
■人間の死体写真見ると吐き気がするし
いい気分な人はぜんぜんいないし、人を殺そうだなんて普通は考えない
俺だって死体写真なんて見たくは無いし、激しく損傷してるのだと怖いね
こんなこといってもぜんぜんしょうがないけど人間の持つ基本的なモラルって
都合がよすぎる
蟻をつぶしたり、毛虫を焼いたり、ねずみを退治するため水に沈めたり
自分がやられたら嫌なことばっかだ
屠殺されている大量の動物たち、殺されるために飼育されているという事実
こういう事実を改めて聞いて悲しみ慄きざんげするとしてもそんなことはすぐ忘れるし
普段の生活に戻ることができる
もしかしたら人間が人間に対する残虐な行為のすべてよりも
人間がほかの生物に対する残虐な行為、必要でない虐待。の方がより悲劇的かもしれない
人間はそういう動物だ、そういうことをする動物だ。
だからこそ都合がいいのは理にかなってるね
ほんとうまくできてる
そういう動物だからこそ都合のいいモラルを持たざるおえなかった
今平気でやってることを平気に感じられず拒絶したら
今こう生活していることのいくらかを拒絶して今までどおりの生活なんてできなくなっちまう
しかし同種に対しては普通の動物以上に正義としておこうか、正義的なモラルを持っている
人間って奴は同じ種族の死体とか残虐行為に対して普通の動物よりも数段敏感であるからね
いぬは同種の死体を見ても吐き気が起こるなんてことは無いだろう
もしかしたら俺が言った部分はモラルというよりも本能に刷り込まれているのかもしれないな
しかしお互い深くかかわっているとは思う
モラルというものは前述した人格、人格プラスαの一部であると思う
正義感のようなものだと自分は意味を取っているが
一般的にはどう定義されているのかなぁ
言葉って意味がお互い一致しなければ会話なんて成り立たない案外へぼなもんだからね
モラルって俺はなくてもどうでもいいとおもうけど
無いと人間社会なんて成り立たない
さっきもいったようにほんとにうまくできてるなと思う




2月18日
■今生きてる人間てのは少なからず明日をいきる人間の犠牲になってる
ただ不幸にあうだけじゃない。自分が今生きてるって事が絶対に明日をいきる人間の役にたってる
それに気付かずしてぶーたれてる奴は反吐が出る
ここが変だよ日本人みておもったんだけどなあ、そうやって
あれあんま評判よくないね。自分も時々見るだけだけど
確かに有意義な議論みたい奴にはあれはお勧めできん、直接だれかと議論した方がましだし
だけどだれかに造られてない、そしてわかりやすい。これがあの番組を一種の「バラエティ」
としては高度に成り立たせてる、ビートたけしも出てるしね
本音が出てるから自分も一般人のあらに気付くわけだ
上で言った事をわかった上でのことなら俺はなにも不快に思わん
それはスケールがでかいということだからだ
両方を選択しうる力があって片方を選んぶ、片方を選ばざるおえない
または片方しか選択肢がみえないってのとは違う
もちろんスケールがでかい=良いってわけでもない
なんだかをすっぱくしてさらにわかりやすくいおうとしてるなぁ、このことを
どの事に関して思ったかというと、ハーフの問題に関してあきらかに「普通」な人間が、世間かな、多分
世間を思いっきりうらんでいるようだったから思ったまで
彼女が生きているからこそ次の世代、そのさらに次の世代について我々は違和感を持たなくなっていく
彼女の不幸は無駄になっていない
そしてそれに彼女はすくなくともその番組に出ている間は気付いていなかった

■人間って考えることをしないな、現状程度じゃ全然足りない。ほんと全く。
それは言葉ってものにも問題がある、生活を便利にするためだから仕方ないが
使い勝手は良いというかかなり便利なんだけど人間はこの何気なく使うものを全然みつめない
仕事,ある程度の意思疎通、一般生活等々につかうのは問題ない
しかし言葉が人間の意思をあらわすことの、基準になってしまっている
なんとあらわして良いかわからないが「当たり前」な物になっている
言葉ではいいあらわせないもの、という表現があるが
そういうものに出会ったからその事実に気付きかけたってのに
単なる修飾表現としかとらえてない人間がほとんど
そりゃ無限にあるものにいくら空のお星様を1個づつ割り振ってこうっていったって足りなくもなる
実質不可能だが、言葉なしで人類が進化を続けたらより高みに達している
その高みは良いところかどうかはしらんが
つまり言葉って物は人間を枠にはめて安定させているがある境界を作ってるってこと
しかしそれを脱したいというか精神的に高みに上ろうとするとそれを脱しようとする
しかし言葉が標準だ、それを超えられない
だから抽象的な表現なんてものがある
それを多用する奴っていうかそういうことを多用するって言う事実は
俺に取っちゃあただの悪あがきにしかみえん

■人間ていうものは何かのきっかけに心を動かされて何かを考えたりする
そこらへんが程度が低いと思う
なにかきっかけがないと何も考え付かないのだ
インスピレーションを求めている人間達
もちろん自分だって、人間であるがゆえにそういう本能的なものというか
環境によって育てられたのかもしれないが、そういうところがある
ウィルスだってあれだけ繁殖するのに
複雑な人間の思考はただ少しだけの「考え」の増殖を楽としない
もちろんウィルス並に考えが繁殖して思考が進化を遂げたら
あっという間に滅ぶか
全く都合が良いな、俺が生きてるこの世界って奴は
都合がよく作られたからこそ俺が生きていられる
いったい何個目で成功したのやら




3月25日
■さてと、部活も一段落ついた
1箇所とはいえ表にリンクされちゃってはこのアドレスで再開するわけにはいくまい
皆さんにはかわいそうだけど、彼も一生懸命やっただけでだれが悪いともいえないのがなぁ
こういうやるせなさもたまにはいいもんだ
どうせ道を前に進んでいくかぎり、景色も変わってきたり、だれかとであったり、何かを失ったりする
しかしながら自分は人生破棄願望者というか、もっと落とし入れられたいというか、社会不適合者の素質十分ということはわかっている
なぜか,はここでさえもいえないが。まぁ要するに希望の重みが嫌いってことだろうな
自分の人生、希望の先に必ずしも失望や絶望がまってるわけでもないんだけどねえ
そんな俺を躊躇わせることができるのは他人に迷惑がかかる、って想いだけ
肉親とか友人とか、全て無い方がいい 人間関係はあったかかったり冷たかったり
自分にとって世間一般、普通の人間関係は温度が高い、ちょうどよくは無いなあなんて感じることもあるね
脱線したが、まぁただのまとめってこと、、かな

■大昔にも書いたような気がするがようく考えれば怒るべきことなんて一つも無い
それをしてしまうなんて人間って合理的でないなぁ、マイナス面のあることくらい押さえることができるくらいの
人間性を普段に持たないと心は進化していかない、というか今人間は進化してるのかな、どっちに進んでいるのやら

■他人のコラム、意見なんてたいていつまらん
なぜかはよく考察していないからわからないが、本来そういうものなのかも
文章が面白い、興味の持てる事柄についてふれている
ってなくらい?おもしろいと思える文章の特徴。
つまり自分の考えなんかについて書いてあるところってさ、徒然とか
よほど一般の人と波長が合っている人じゃあないと受けないって事になるね
文章の技術さえあればそういうことも誤魔化せるのかな
大体斬新なことなんて思いつくわけも無く、斬新ではないことですら人間は意識できないことが多い

■俺って人間についてばっかりいってるなあってきがする
生きるって事は人と関わりあうってことだから、生きるって事について語るとそれは人間について語ることになってしまうのかも
しかし俺の言ってることってなんの哲学性も無いね
2chの哲学板のなぜ人を殺してはいけないのかってスレッドでみたが
人を殺していいという価値観を持っているっていう前提でなぜ人を殺してはいけないのかを語ってもそれは哲学ではない
探求のうんぬんがなんとかなんとかっていってたな、忘れたけど(笑
学問、か・・・







4月7日
■もう少しで部活も終わりということになって
うちのチームメイトは逆に気が緩んできている、先生は結構悩んでるみたい
はやく終わりたい〜!っておもってるからなぁ、みんな。
人間,試練にぶつかってはじめて考える。んで乗り越えたりして成長していく
という意味ではうちの先生もまぁがんばっている
自分としては師に恵まれなくて不幸だなって感じだけど
技術自体ははあるのにそれをうまく伝える方法と人身掌握についてまだ未熟
県の選抜のコーチにもなっているのに
まぁまだ33くらいで若いから仕方が無いか、とも自分を納得させている

■この業界も2年前とかと比べるとほんと鉄の時代だなぁ
やっぱし人とそれを取り巻く環境って不完全な方が光ってるよね
みんな貧乏な時代の方がみんながんばる、これって社会主義に通じるものがあるかも
安定が約束されると安定が約束されていないときに比べてやっぱし人は怠けるね
解決策も無いしなぁ、みんなで貧乏になるくらいしかないな
刑務所行けばメシの心配は最低でもないな。とか思ってる奴が出てくる時代だし
となるとそろそろ・・・戦争の影でもみえてくるかな?
人類は必死に必死に戦争が起こらないように予防策を張り巡らしてきた
俺だって戦争なんかしたくないし、悲劇を見るのも嫌だけれど
サラなる事態の進化のカンフル剤となり得る。おーきな目で見れば特に
時代って安定と変動を繰り返してる。そうしないと破錠っていうか逆に自分たち(歴史を動かしている張本人達)
にとって悪いことになるからね、ほんと自然にうまくいってる
万物は壊れて生まれていくのが自然としていいって事だね、細胞がいれかわってくように
その細胞っつうのもいろんな区切り方ができる
人間の時代を割るのもよし。人の一生を割るのもよし。となると・・・地球上の時間の変化を割るのもよし。
宇宙の時間の変化を割るのもよし。さらにその一つ上の単位もあり、もちろんその上もある
全て自然なはずだから壊れて生まれて・・・
まるで今人間の時代って言うのが当たり前のような感じはするが
地球上の主種族だって安定して,変動して入れ替わってゆくのが自然
いつ人間は支配者のお株を奪われる、または自滅するんでしょうかね
人間の寿命って80くらいだから狭い期間しか目に入らないだよなぁ
大きな目で見れば何か感じることや判ることもあるかもしれないのに、全く損してる
それにしても万物って言うのは本当にうまくできてる
きっちりと全て(形容できないが)を足し合わせると0になる。証明はできないが、多分そうなる







4月11日
■人間の裸って
ようく見ると汚らしい、銭湯にでもいけばわかるが
とても自然がデザインしたとは考えにくい、自然は偉大な芸術家なのに
もう、人間の身体からさえも人工的な感じがする、新時代的な人間臭さが詰め込まれてる
若者のからだでさえもしかり、段々と汚れが積み重なっていくような
もちろん綺麗な身体もあると思うが、大半,よどんでいる
本来自然に生きていれば人間の裸も美しいものだったんじゃないかと思う
もしかしたら段々と人間達の恥ずかしいという感覚は単に見られることの羞恥心ではなく
自分が醜いということを恥じるという意味での羞恥心に摩り替わっていったりしてるのかも

■人間はしゃべる、相手もしゃべる、そうすると会話が成立する
しゃべりかけるということは会話を相手に要求するということである(嘆願したり、強制したり)
そして一般人は友人,知り合いと付き合っていく中で理不尽なことはいやだ、納得できない事はいやなのが普通である
しかし相手を黙らしたい、または黙らされたりすることもある。それが少々理不尽でも。
しゃべるということが人間にとっての1番のコミュニケーションの方法であり
日常生活で1番多くする行動ということで
理不尽な思いというのはこの会話によってえることが多い
少々の行き違い、場の雰囲気が悪くなるなんて事はけっこうあることで
大なり小なり、かなりの数を経験することになる
その中で友達に不信感を持ったり,ああこいつはこういう奴なんだとか納得しちゃったり
こういうことは普通にあるんだよな,とかわりきってみたり
ほんとせこせこしてるな,人間の日常ってとかおもってみたりもする
黙るのも黙らすのも1番効果的でへこむのが関心を持っていないと相手に伝えることだ
つまり、あっそう。っていってやるとか、まぁそういう感じ
会話って相手も酸化してくれるからできるんだよね、って思いこまされる
そしてそこで人間特有の自己顕示欲とかその他もろもろが働いちゃって理不尽な不快感を覚えたりする
なんだかひさしぶりにまとまってないが・・・
無視とかってのは会話を強引にとめるのにめちゃくちゃ有効でやられると
人間的な感情のせいでメッチャへこむ、だけど相手だってわざとやってるわけじゃあなくて何気なくなときがほとんどで
要するにしょうもない、まさに理不尽だ、というような感じ、まぁいいや(^^;
ちなみに自分は相手の感情を損ねることをねらってやった行為
ってのは喧嘩を売ってるとみなして、そういうふうに対処します(笑
上でいったようなことってのは会話ONLYのネット上ではほんとに有効な手段で、もちろんちゃんとした会話じゃないいざこざの方が多いから
いかに無視できるか、がその人の器の大きさかも
ネット上じゃあ物理的にどうこうできないしね
なんか無駄に長い、集中力が切れたか・・・鬱だ・・・・







5月23日
■まったく災難ばかりだ
グラボがいかれたと思ったらHDフォーマットしなきゃいけない羽目におちいるし
すっぱり消えてしまってかなりすっきりした
もちろん取っておかなければいけないものはCDRWというすばらしい文明の利器によって
無事だったわけだけど、其れでも垢をすべて書いてあったテキストとかバックアップし忘れた
だけどNEXTFTPをそのまま取ってあったのでなんとかなった
さらにはまた検挙者が出たりいろいろ物騒だ

■パソコン使用不可になって一番思ったことは
ああ、これが普通の感覚だったなって、毎日ひまなんだよね
しかしTVでも見なきゃ特にやることはないのが当たり前なんだ
だからみんな勉強もしょうがないやってやるかという気持ちになるようだし
それを忘れてた
多くのものを受け取る変わりに時間を支払ってるって事を

■学校では相変わらずテストとかやってる
久しぶりに平均点超えた教科がいくつかあった
英語とか。なぜかっていうと授業中によく当ててくる先生で
以前のように本を読んでいるということがしにくいから一応役をノートに書くわけだ
どうも其れが原因らしい
2年生の時はノートを10ページも使わないほど読ませていただいたのになぁ
国語も平均点を10点ぱかし超えた
国語ってやつは日常生活で十分まかなえる、違ってたのは暗記問題
もともと神童ってよばれてたからね(笑

■ほんとに俺たちの世代は勉強ばかりだ、同年代の奴らが日本を背負っていくと思うと心配になる
人間的な能力が乏しすぎる。まぁ背負ってもらう立場になると思うから文句は言えない(笑
もちろんこの自分だって現代っ子であるがゆえに乏しい能力もある
経験からはぐくまれるもの、まぁもともと社交的ではないというかガンをつけたりぶすっとしてる性もあるんだけどね
昔のようにだれそれがガキ大将で誰かが仕切って其れに意見を出していく
というような一般的に思えることが無くなっている。みんな平等だ、家でゲームでもやってりゃいい、遊ぶ場所が無い。
ここで重要なのは仕切るということと意見を出してかかわるということだ
これを子供のころから自分自身が経験していくとそういう場になった時に不自然にならない
たとえば文化祭で案を出す時、また仕切る時
驚くほど頼れる人物というのは例外無く子供のころにそういう経験をしているはずだ

■それと無関係なのに厄介な問題が皆本を読まない
本を読むということは考えることに直接的につながる
また考えない、ほとんどの若者は人と思想、意見をぶつけあったことなど無いだろう
つまり部活内での〜、とか事務的なこと以外で
自分が考えていることについて他人の意見を聞いてみるのが面白そうだとも思わない
これは日本人の特色にさえなりつつある、なぜ考えることが乏しくなってきたか
其れは単純明快な答えで表せる
つまり日本人のより新しい世代は平均的により幸せだからだ
人は何か悲しいことやつらいこと、つまり壁にあたってはじめて考える
だから一般的な大人になるということは、一般人が大人になっていく年月で必然的にいろいろなことが起こり
一般人並にいろいろなことを考えてしまい、一般的な大人になってしまうということなのだ
以前よりもつらい要素にあたる機会が減ったのだろう、さらにはつらいことを事前に感知し
またはなあなあで受け流すことばかり上手になってきた
特に不満も無いなら考えることも無い、これが理由だ
必ずしも壁にぶつかる時にだけ考えるわけではないのだ
其れは一種のきっかけ、走り出す最初のアクセルの一踏み二踏み、しかしそれが無いと後も無い

■しかし日本人の平均はかなり優秀だ
其れはつまり自分の将来について、いろんな事をきっちりやるとか
そういう常識的にやらなければいけないことについて、またはその常識の水準の平均が高い
これはダントツだ、とりあえず平均の位置にはいようとする日本人の考え方もあるかもしれない
そういう機械的な同年代こそが俺の今最も嫌悪している対象だ
日本人は労働者、経済の担い手としては優秀なのかもしれない
しかし現在の教育の根本は腐っているとしかいいようが無い
断言できる
大体まともな教育を受けていない昔のお偉方が頭をひねって揺るがない基本的なシステムを作り出してしまったのだ
民主主義でシステムというものはかなり安定している
だからこそ重要だったのに・・・

■唐突だが法律というものは無力なものだ
意思の無い力は力でしか止められない
意志を固めた力も力でしか止められない、罪を犯さなければ裁かれない
まぁたいしたことでもない







6月7日
■日本人とは察してもらう文化をもっている
お互いに話ている途中察してほしいと思いつつ、または察してもらう前提で話をする
だから外国人とはコミュニケーションが最初成り立たないことが多い
そして日本人は議論がへたくそといわれる
ここでひとつ厄介なのは海外人への憧れだけのために
察してもらう文化だけを毛嫌い、実践する
だからといって相手の主張を真っ向から受け止めきれないのだからしょうもない
文化的に言えば日本人でも海外人にもなりきれていない中途者だ
議論というのはその部分でいかに感情を捨てきって冷静に行うかというのが
初歩の壁であると思う、外国の人は厚くなってるように見せかけてしっかりとやっとるが
日本人はぶちきれるだけのような
ソクラテスの弁明などを読むとわかるが、感情のかの字も出てこない
ソクラテスだけが知者なのでは無くお互い知者だからこそ議論として成り立つのだ

■最近ふと思ったことが有った
本当に理解(わか)ってもらえるのは物語の主人公だけだ
実はこう思っててことの全体像はこうで実際こうだったんだ
などと都合良くわかってもらえるのは物語の主人公だけだった
物語では隙間を観客が補完してくれる
しかし現実で一人の人間に対してさえ自分をわからせるのは
実は不可能、膨大過ぎて埋められない
名をあげるということは自分を理解され認められるということだが
それでも理解されるのは面であって立体における面だけではほかの部分はスカスカだ
この事実をはっきりと理解するのとしないのでは天と地ほどの差があるように思う
人間は結構間を無意識に補完することがある
たとえばいいことがあったあとは必ず悪いことがおきる
ともかくバイオリズムってのがやまなりたになりを
描いていると思っているがそうじゃない
起こったことは点なんだが
その記憶に残る特徴的な点と点の間を人間は自分の頭で曲線で結んでしまう
それによって運は交互に推移するものだと考えてしまう

■人は夢を見るが、なんか自分の見る夢ってかたよりがあるなぁ
それによって何かわかるんだろうか
一番ダントツに多いのが狙われる夢、相手の力量は絶望的、互角、こっちが勝てる
狙う奴らは政府、なんかの組織、個人、怪物。
こっちは反撃する時もあるし逃げる時も有る
まじ怖いときも有るしなんか面白い時も。とバリエーション豊かだがかなり多い夢だ
その次に見るのは自分好みの女の事なんかむちゃくちゃなかがいいシチュエーションで
なんか活動してる夢、遠足とかね。これもバリエーション豊か
あるときは部族の長でその妻と仲良くなんて夢もあった
冬の夜にゆっくり寝るのは至福の時・・・

■日本人の学歴のこだわりにびっくりした
企業がこだわるのはわかるが、他人に対する優越感を得るために学歴を引き合いに出すとは
またそのような状況になってもさめずに逆に熱くなるのがまたすごい
日本人らしさだなぁ・・・・
まず最初に肩書きが無くても尊敬されるような人になりたいと思うのがまともな人間だと思うし
大体人間的な価値ならまともに相手と話せば自分が尊敬できるかどうかくらいわかるだろうし
もともと平均が優秀な日本人だが背景にはこんなことがあったんだなと思わされた
大体日本人は働き過ぎだよ、働くことがいきることに直結しているとしたら
いきるために働く、その仕組みを超えてる
大学はいるのに難しいのも面倒なことを文句を言わずこなす人間が求められているというのも原因の一つだという
機械がほしいんならがんばって開発すればいいのに
学校の政経の先公はくそ適当な授業でぜんぜん授業自体もなさそうだ
この前も体育の時間外の道路見たら趣味のランニングにせいを出してた
あれでもう50以上くらいだと思うからかなりもらってんのかな
ああ、はらがたつな〜

■人を自分より上だと認めるっていうことは人間の精神と格闘することだ
少なくとも普通の人にとっては
だからこそ潤滑にコミュニケーションを持続するために謙遜なんて言葉があるくらいだし
動物の世界では本能として組み込まれている、ボスに従う
しかし人間の精神ではそんなものは組み込まれていない
反発しようとする、人間の世界には利用するものはたくさんある
他人を認めるなんてしゃくだと思う人は多いだろうし、相手が自分のことを自分ですごいなんて言った日にゃあ
ほとんどの人が茶化すか不快に思うしかないんじゃないだろうか?
それを否定するでもなく、ね
人を認める器量のある人だからこそ正当に認められない寂しさを味わうとは
何と酷なことだ、弱みを見せないと蔑まれる

それと関係が有るが、自分のことは自分がすべてを決める
ということを言葉としては理解してるが、意識として理解している人の少なさが目立つ
これを意識として理解することで得られる余裕はすごくプラスになる
ようく相手との対話を見てみるとすごく不自然な対話になっているときが有る
そう言う場合は意識として理解できていないから相手に「お伺い」を立てつつ話をしているような感じになってる
と気づくはずだ
会話をすれば自分が相手に働きかけるし相手も自分に働きかける。
その働きかけによって相手がどう思うか、どう変わるかを相手から伺って、保険をかけようとする

なんか外人のほうがスピーチも上手だし議論も上手なのはここら辺のことがあるからじゃないだろうか
外人サンは個人の権利を主張しすぎる間もあるけど(^^;







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