独 り 言


9月26日
■コンプレックスについて書こう
コンプレックスという言葉自体はまるで市民権を得たかのように振舞っている
まぁどのような人間にも多少は必ず存在するものだ
しかしわかりやすいコンプレックスという物は意外と存在しないものでもある
そしてもともと、コンプレックスを持つ人は自分でわかっているものだと思っていたが
そうでもないようだな
自分で言えるコンプレックスはまた性質が違う、言えるだけに根深くはない

コンプレックスは抵抗と言いかえる事ができる
もちろん物理的にではないから、まぁ被害妄想と同じようなものだ
思えばあるし、思わなければ存在しない
問題なのは、抵抗が起きるとそれに反発が起きるという事
大抵これから他人のコンプレックスは見えてくる

どういう事かというと、抵抗を打ち破るきっかけを見つけると
それを最大限に利用しようとする
わかりやすい利用の仕方は他人に喋る事、そして他人からの反応を得る事や
他人に言う事自体、からコンプレックスを"押し戻した"という実感を得る事ができる
しかし、実際にはそんなものは存在しない、つまり存在しないということは
抵抗の影響からでは絶対に無くならない

その人がコンプレックスであるという認識をもたなければ
根本から改善しようとしなければ無くならない
性格のように人格に張りついてしまうだろう
ただ性格との区別はコンプレックスであるということを見ぬかなければ困難である

まぁ多少のコンプレックスは誰でも持っているといったように
そこまで人間にとって劣悪な存在でもないのだが
大きなコンプレックスは破滅をよぶ
迫ってくるなにかをおしてもおしても、押し戻しても
いつまでも迫ってくるのだからついには強迫観念にさいなまれる場合がある

また、さっき言ったコンプレックスへの抵抗は
一概に他人にコンプレックスを持たせるような言動である場合が多い
優位性から来る満足感も利用しようとする
他人と一緒では、その人間の中押し戻した事にならない場合があるからだ
それゆえに、その人間がコンプレックスを解消すればするほど
人間関係悪化を生む場合がある。それを回避するには、共同体において
コンプレックスを解消するベクトルへ進む事だ

コンプレックスを自分で確認するということは非常に困難な作業である
何故なら一種のトラウマであるからだ
大きなコンプレックスであればあるほど困難である
しかし俺は人間の強さを信じたい
弱い人間のままであろうとするならば、悪役を演じてでもその人間の背中を押すかもしれない

しかしコンプレックス自体は、"理由"となりうることから
その人間が自分の未知を邁進する場合に大きな原動力ともなり得る
アメリカ人とか、良くコンプレックス持ちそうなタイプな気がする



9月19日
■俺の負けだ
謝ってすむものなら済ませたい
他に何かを失ってすむのならすませたい

時々こういう事が出てくる
時々、書いておくといい

自分を優しく在らせる事は、それ自体は確実に
負担だ
他人にとって理不尽で無いように対応する事は、それ自体は確実に
負担だ
他人に冷たく接する事は、それ自体は負担ではないんだろうか

ある人間は、もしかしたら自分が考えているよりも大きな被害を持って
自分に対して理不尽に対応したのかもしれない

他人が自分に対して優しくしたときに負担を受ける事を
知ることは負担で、知らないことは負担ではない
というよりも何もかもを、知ることは負担で知らないことは負担ではない
しかし何かを知っていれば、負担を回避する事が出来るかもしれない
しかし回避できない負担も必ず出てくる

ある悪い事が自分の身に降りかかるときに、知りながらどうしようも出来ない場合
最後まで何がなんだかわからず、それを受けたりした場合
やはり前者の方が負担が大きい
良い事だと逆か

どうも何かを知るということは、負担の受ける率を増大したり減少させたりするものらしい
ある視点から見ると
冷たい人間が、全てを知ることがその人間にとってベストだ
優しい人間が、全てを知ることはワーストだ
別の視点から見るとまた違う

知れば知るほど、バランスという物がついてくるし
そのバランスは、階層ごとに何重にも何百重にも平坦化されてる

ともかく悲しい
すまなかった

時々こうやって書いておくといい



9月27日
■バランスはそれこそすべてのものに存在する

例えば嘘を暴きやすい人は、バランスの乱れを感じ取っている
とか書くとなんだか超能力者みたいだけども
まぁ逆に良く言われる、嘘をつくときは本当の事を混ぜろというのは
つまりはバランスをなるべく乱さないようにするという先人の知恵だ
一般にあまりこういう論理的な解釈は追従しないが

このバランスの存在をそこかしこで感じるとき
やはりこの世界というものはきちっと定められていると実感する
曖昧さもまた定まりの一つである
しかし前書いたように、バランスの移行というか
一つ上の桁でバランスをとるために偏る場合がある
しかしその偏りもそれ単体で見れば必ずバランスがとれている
前やった数字の例は非常にその抽象的な部分を上手く表せていて自分で自分に教えた気分だ

■価値観を重視する人間は論理を嫌う場合がある
それは強迫観念によるものだったりする
場合があると書いたのは、感情への論理の影響は干渉だけであり
決して置き換わる事がないと知っている人間は
論理を区別して捉える事が出来る

嫌うというよりも拒絶だな
わかりやすく言うと論理を異物と捉えてしまう
人間の体に鉄をうめこんだりしたら拒絶反応が出るが
それと似たようなものかな
強迫観念といったのは、移植した腎臓を拒絶するような
意味の無い観念だということ

感情価値観という肉体の中に決して変わらぬ確固たる論理がまぎれる
確固としてあるだけで基本的に影響は無いのだけれど
こちらからも自分の意識から影響をまったく与えられない事が怖くなるのだ
それを不審に思う。自分の中にあるのに、と
これは疑り深さとはちがうただの弱さだ
意識化で恐怖を感じてしまう
だから論理が近づく気配がすると自分を主張する。落ち着かなくなる
自分に接触する前に遠ざけようと必死になる

実際いろいろ考えるまで、意識は価値観、感情という単一の要素で構成されている
と思うのも無理は無いが。
そして自分にとって、自分の価値観は絶対であると言う至極当然の
当たり前の事実さえ忘れてしまって
自分の価値観をより強く主張する羽目になった経験がある人もいるんではなかろうか





10月7日
■柔軟性の非常に重大な欠点に気付いた
明日から頑張って実践しようと思った

例えば自分などは、柔軟性に関しては非常に自信があるので
逆にはっきり物を言いすぎる、
それが、この人は我が強い人だと誤解される要素になってしまう
他人から指摘されればそれを検討するつもりであるので
逆にそれを求めるような目立つ意見を口にしてしまう
まぁ後者の方は意識的にやってるんだけども

ともかく、どちらかといえば他人に意見しない人
どうでも良いと思われている場合は
自分がこのことを意識していないと
そうであることに気付けない

こういうこと考え出してなんか社会人に近づいてるなと思った



10月15日
■かなり記録しておきたいようなネタもすぐ忘れてしまう
なんか書くつもりだったのに
自分はここに書いても翌日には忘れてしまう事が多い
全然思い出せない
これはどういうことかというと、結局は俺自身をそのまま出している
という事だと思う
問われればいつでも出せる事だからこそ、常に念頭においておく意味が無くなるのだ
しかしやっぱりここに書く前に頭から消えてしまうと、あーーーーーーあってことになる
消えたということで物凄く価値のあるような事に思えちゃったりするのだ
もともと、俺にとっての考えというものは考えるという行為によって引き出される事は少なくて
引出しから物をあけて取ってだすような感じだ

ということで、こうやって日付でかんりするのはやめて
題名をつけて後々は管理していきたい、日記でもないしね
見栄えもよろしいし



10月16日
■寝れない。寝れないのに明日眠いなんて納得できない話だ
体の四肢が重くなるというようなイメージをすると眠りやすいらしい
血圧を下げるようなイメージが効果的だそうだ

そういう意味で
アドレナリンを刺激するような事を考えて一人で盛りあがっちゃってしまうと
寝れなくなる
ちらとでも頭をよぎらせると確実に寝るのが1時間伸びるようなのもある
考えないようにしているけど、時々失敗する

今日はある一人の女の子の事を考えた
小学3年から6年間一緒だった子で、下手な男子より気心が知れあっていると思う
ぶすじゃないがかわいくも無い
まぁ子とか書いてるだけでむずがゆかったりする
格別仲がよかったわけでもないが、気が合わないわけでもない
むしろ楽で気を使わないという意味ではすごく気が合う
しかし特に話そうと思って話したり仲良くしようと思って仲良くした事は無い
クラスでは嫌う人もいたし、ほんのちょっとだけ性格がねじれてる
好きな子が俺の事をどう思ってるか聞いてもらったり、だけど険悪な喧嘩も結構あった気がする
それほど日常で気に留めたことは多くない
ただ一緒の班になったりだとか6年も一緒なのだからそれ相応程度にはあったかな

あまり重要な事は多くない
ただ、子供のころの時間を長く共有したという事と俺はあいつ自身の事を多分多く知っていた
と言う事が大きな意味を持っているのだと思う

決して"今の俺の中の意味"で仲がよかったわけではないのに
この重さは、かけがえがない
とても不思議だ




10月16日
■全ての存在にはバランスという要素がある
バランスは存在を司る、存在する物はバランスを持つ、バランスを失うとその存在は失われる
ここまでは適当です

存在には発生した理由が付属する、それがあるからその存在が存在する
タイムマシンで親となるだろう人を殺すと自分は存在しない
みたいなイメージで適当に捉えて欲しい
物理的な世界ではつまり、発生した理由が消える時はその存在が消える時である
発生自体と言ったほうがいい物か、迷う
俺の最後に言いたい事にとってはどっちでも同じだからだ

さて。ということは、発生した理由が消えたら
その存在は極めて消えにくくなるという事だろうとか安易な推理をしてみる
しかし物理的な世界ではそれはそのまま矛盾になってしまうためありえない
矛盾にも2種類あったりするのだが、この矛盾は有ってはいけない矛盾だからだ
つまり物理的な世界では単純なはずなのだ

しかし感情的な世界では、時折発生した理由が消えてしまう事がある
何故ならば人間は忘れる事ができてしまうから
そうして、発生した理由が消えた感情というものが生まれる事がある
これは非常に消えにくい
原因があるからそれを解決すればOKみたいな、あるいみ通常の解決法が通用しない
全く別のアプローチから、例えば熱いものが合った場合に
熱いものの温度を下げるという働きかけではなく
熱いものに冷たい物をかける、ような"書きかえる"働きかけが必要になってくる
まぁ重箱の隅はどうでもいい

言いたいのは既に理由の無い憎しみは消えにくいという事だけだ




11月9日
■自分の嫌いな人種とコミュニケーションをとると
(得てしてそれはネット上だけなのだけれど)
すごく悲しくなる。アナログに,アナログをぶつける事の大変さを知る。

■ネット上で語彙を増やすと、実際の会話では同じ意味の表現が二つも三つも思い浮かんでしまって
言葉に詰まる時がある、困った。

■コミュニケーションが文字媒体である事の特徴の一つに
発した発言が残ると言うものがある
これはものすごくデジタルである。なんてデジタルを誤用してしまうほど
デジタルははっきりしている。
訂正すると、発言が残るという事はものすごくはっきりしている
明快であり、曖昧でない。
これは非常に論理的な状態を促進する土壌である、はず・・・
しかし、2chなどを見るとものすごく不思議に感じる
文字媒体が主体のコミュニケーションの、場所らしからないからだ
信仰に言葉は通じにくいように、自分はそこから去るしかない

■理性が感情と本能にたいし反乱を起したら
なんて思うことがある。自分が時々
死にたいと言うよりは、死を避けられない状況に陥りたいといっていた事は
これではないのか、と。まぁ死にたいとか軽く思っちゃうことは誰にでもあるから流すとして
理性自身が感情と本能を滅ぼそうと思ったら、死を避けられない状況に陥らせるしかない
痛いなら痛くないようにしてしまうし、死の危険を感じたら出来る限り避けるだろうし
意識の中で、その3者がせめぎあっていることなどもあるのだろうかとも思う



11月10日
■駄目だ。
冷静と情熱の間,か。今見てる。
冷静と情熱の間か。今の自分かもしれない
気になったほうが負けだ,気にしなきゃ傷つく事も無い
罠にはまった。失敗した。
寝たらすっかり忘れているかもしれない。きっとそうだ。
駄目だ。困ったな・・・
一時の気の迷いだ、欲の結晶化だ。忘れたい。



11月11日
■とかって不安定になってみたりしてな
こうなったりしてみるのも若者の特権だ
ただ、10代で卒業しよう



11月15日
■俺という人間の要素で、意識を構成する物、意識を構成しない物。
俺の意識が優秀だとすれば、それは意識を構成しない物が凄いからだったりして
運命や他との干渉を司るような要素があったりして
あ、もうちょっと運が悪かったら死んでたな、とか思うときに考えたりする
そういうことを考えてみると、神々の戦いと言うものは実在するのかなと思ったりする
意識には感知できない部分で

■タイトルつけて、日記みたいにじゃなくて独り言を整理しようかなと思うんだけど
きっかけが無いなぁ
今読んだらこそばゆいような物ばかりでてきそうだし、もちろんこれも明日読んだらこそばゆいかも

■衝動って言うものはわかりやすくて良い
自分に問うってことが、言葉どおりそのまましやすいから良い
衝動を探ってみれば、何もかも正しい事が出来るのではないか
などとも思ってみたりする
なにか食いたい、なにかみたい、なにかと会いたい。
そろそろ充電するかな、と



11月17日
■最近感受性が薄れてきた、元に戻さないといけない
もともと、人一番感受性は強い方なので、ロボットみたいになったわけではないけどね。
なんだかただ文章を書くのもスランプ気味だ。何と言うか、掲示板に投稿すると言う簡単な文章でも
なにかが不自然で、なにか足が浮いていて地面についてないような気持ちになる
とか何とか,ここでこうやって書いているのもおかしい気がする
インターネットに存在していて、今が一番おかしな状況だといっても良いかも

もしかしたら、俺の脳細胞はもう完全に死んでいく細胞の方が多くて
一日ごとの減衰が直接俺の感覚に響いているのかもしれない
そうだとしたのなら,もっと色々書いておけば良かった
もともと俺は、元々の俺が一番の財産で
知識などは二の次だった
想像してみると、このまま衰えていく事の無念さは計り知れないかもしれない
パッと無くなりたい
ただのバランスの崩れだったらいいのに

■人間っていうのは生きていく上で矛盾を抱えている
人間でありたいという衝動と人間を超えたいという衝動
越えたい、の方は焦点が人間を超えたいという事には合っていないはずだが
ある関連する衝動を一まとめにするとその延長線上にあるのが超えたいという衝動になる
要するに、成長したいとかそういう関連。
物理的な要素は,やっぱりここでもどうでも良くなる
ものすごく難しいからだ。バランスを崩壊させるほどの矛盾を発生させ得ないからだ
いくら頑張っても飛べる人間など居ないし,100m跳躍できる人間も居ない
これは、物理的な物が安定している事を意味する
崩壊というものはその存在自体を脅かす

しかし精神的なものは制約など無いので
矛盾を発生させ得る事になる
今まで会った事がある人ももちろんいるかもしれないが
何かが欠けている人間は
元から人間らしくない場合がある、それは利点を生むし,不利な点も生む
欠けているという事はつまり,人間の範疇以下ということだ
逆に、人間は成長すると事によって人間の範疇以上へと近づいていく場合がある
これは大きな辛苦を生む
人間で居たいのに,人間で居たくない何てことになったらバランスを崩すのは当たり前で
その揺れ動きがその人間という存在に衝撃を与える



11月22日
■非常に重要な事を書く

ここに色々書いてきた
論理とそうでないものの区別が主になるんだけど
論理の正しい使い方については書いてない気がする
いや,書いたんだけどちょっとだったかな
正当な論理とは感情に起因せず,感情を伴わず,感情を引き起こさない
と書いた覚えがある

実際感情に関連させて論理を操る事を無くす事はほぼ無理だろう
ただ、それは論理的とは言えない、むしろ感情的な手法だ
論理的な手法が名猟師の一発とすれば、感情的な手法は下手のマシンガン乱射だ
ある結果に辿りつかせるためにあらゆるアプローチを行うような。
人は、あきらかなそれ、を屁理屈と呼ぶ時もある
しかし感情に関連させれば、筋道も道理も完全に確認させる事は不可能で
つまるところ、明らかでないそれ、を屁理屈だと確認する事は不可能になる

人間は弱い。宗教を利用するように、論理を利用する事も仕方ない
しかし、論理を扱うからといって何かを勘違いしている輩もいる
ひねくれた馬鹿もひねくれた多少頭の良い人間も、同じ位たちが悪い事を知ろう
論理を扱うからといって必ずしも自分がまっすぐであるということにはならない
免罪符でもない

論理と感情の
区別をし、しっかと理解し、互いが互いに置き換わる事のないことを学ぶならば
それぞれ別個に鍛える事をお勧めしたい
様々な影響から、論理という"別のもの"で遮断して、自らの心を守るだけよりも
痛みを知り、自分の心に傷を与える物に絶え得る心を持つこと。
大人になるということだ。子供のまま,ガキのままでいてはいけない。

安易な勘違いで、論理をただの便利な道具として扱うな

■途中から読むと、理解できる能力があっても無理だな・・・・



12月1日
■もう書くの止めるか
氾濫する既。餌の不足。0からの創造は。
なんでこんな馬鹿があふれてるんだ
誰かもっと重要な、別の役目を担うような人間は
いないのか

天文学的な確率か、これ以上伸びていくのは
限界を知ったとしても、信じたくないのに
限界を俺の鼻先につきつける現実

抽象的でない詩は、無いのか



12月1日
■ネタが出来た

上の事を書いた直後に友人が"あー 現実逃避したい・・・"ってメッセージを送ってきた
偶然だったが
話を聞いてるうちに、上の事と、同じような事だとわかった

青年期の、青年期に移行する時期のノイローゼ
今までぐんぐんと成長してきたのがぴたっと止まる
自分は自分なりの、あいつはあいつなりの限界を知る
足踏みをする
それが不安になる

言葉では対処も、事態も完全にわかっている
だから俺はアドバイスがすらすらと出てきた
しかし、俺自身もそのアドバイスを取り込まなきゃいけない状況で
だから実際はこれからもっと理不尽な思いも身に染みさせなきゃいけない
言葉でわかってるだけだからな

ただそれを聞いて、色んな友人達も今同じような状況にあっているんじゃないかな、と
思えただけでも良かった、仲間が出来た
すごく青年的な悩みを共有できた、少年からの脱却。

そんでな、あと正直さの素晴らしさを知ったよ
いつか前言った、直接的に言えない、っていうのはこれともかぶってたんだなぁと
正直に言えない弱さ
恥ずかしさやら面目やら、愚にもつかないようなことでできない事を正当化してるやつら
そこのお前も、お前もお前も一緒だ
俺の友人の正直さを見習え





12月10日
■人は、人の口から完全に客観的な言葉が出てくるとは信じる事ができない



12月14日
■生きる力ってどこからわいてくるんだろ
目に見えて、はっきりとわかるようにわかずとも
気付いたら体に備わってる
いきる力なんてものがあるのは人間だけだろうけど

全ての物理法則は、いかに効率良くエネルギーを消費するかの一点に集中している
だからこそ、すべての物理法則に支配される物は自ら死の道を歩く
とかいうようなことをなんかの漫画で読んだ

感情は、高いところに行ける代わりに低いところへも行ってしまう
どちら側に行っても0に戻そうとするバランスの修正が加わるのだな
よくできてる





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