日記

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■2004年05月31日(月)08:08  tweak tweak
なぜか5時に一度目が覚めて、結局6時におきた。
損した気分だ。
蚊に刺されたとかでもないので何のせいにすることも出来んし。
強引になにかのせいにするならば、原因は暑さと日の光だろうか。
朝日が差してくる場所で寝るのが、早起きには一番効果的かもしれない。

朝の通勤、スーツを手に掛けて歩いている人は半分か半分より少し多いくらい。
自分も、明日から上着は脱いで歩くことにしよう。
そうしないと会社に着く前に脱水症状で死んでしまう。



細雨と瑞雲。



帰ってきたら部屋がサウナだった。


残業時間的に1.5時間、定時から2時間多く働いただけで
時間的余裕の有無の差が、これだけ大きいものだとは思わなかった。

今日は入社してから一番1日経つのが早かった。
5分も机に座らず、対応と準備に追われた。
もしかしたら、関連業務だけど担当が増えるかも。
教えてもらえればぜひやりますなんて、言わなかったほうが良かったかも。


うちの一番親会社も、昨今の不景気でリストラに追われてきたと聞いたけど
平和で長閑な部署もあるなぁ。
でかい会社ほど無駄が多い。ように見えるだけかな。
リハーサル、準備中の会議室に来て雑談してたりなんて、別段普通のことなのかな。



英語の勉強方法について調べだす。
TOEICについて調べてみたけど、TOEICって過去に
受験者数の92%が韓国人と日本人で占められていた時期が存在していたような資格なのね。

TOEFLというやつが、北米では有名なのだそうだ。

しかし、"英語 勉強"とかで調べると、資格対策ばかりが引っかかって
英語をマスターするとか、英語の語学的な能力をこれだけつけるとか、そういう情報が少ない。

たとえば、英字新聞を斜め読みして自分の読みたい情報を探せるレベル、とかさ
日常会話なら困らない程度、とかさ。
表現力を多少豊かにしたい、とかさ。
本を楽しんで読めるレベル、とかさ。

まぁなんとなく、現状と、TOEICと実際の英語力の関連とかがわかったし、良い情報もあった。

話せる・聞ける英語の勉強法

書くことの10倍、100倍読め、しゃべる事の10倍、100倍聞けに始まるこの人の理論は
正鵠を射ていると思う。
6くらいまであって、まだ全部読んでいないけれど、頭に入れておこう。
具体的な方法というよりも、根本的なスタンスという意味でためになるはずだ。

INのほうが多くなるのが自然、というのはあらゆることに言える。
そもそも、日本での日常において、読んだり聞いたりすることが
しゃべったり書いたりすることより多いかどうか考えてみれば良い。

まぁそういうわけで、更に情報収集をして
20年後には簡単な会話くらいできるようになっているっつうのを最低限の目標に据え付けて
じっくりゆっくり、時に意地悪く、自分の尻を叩いていこうと思う。


〜じゃん?に似たニュアンスで、〜じゃ?
って言う言葉遣いをする人は老人だなって感じがする。



自分が今もっている武器以外に、他の武器がある可能性すら考えない(考えられない)人は
結果的に、ある意味強い。

剣のみを己の人生と信じて疑わなかった侍は、結果的にそれのみを鍛えて
マシンガンにはかなわないけどさ、そういうのじゃなくてさ、なんつうか"強い"。

それまでの概念や世界自体を崩すほどの存在もってあたらないと、打ち崩せない。
マシンガンに対して、ナパームをつかうとか。

■2004年05月30日(日)15:50  麗らか
自転車がやっぱりどうもおかしいようだ。
パンクかどうかわかんないけど、走ってると後輪の空気がゆっくり抜けてく。
毎回乗る前に空気を入れれば十分使えるけど、空気入れはもってないし
缶スプレー式の空気入れも残りわずかで貴重だ。

ユニーの駐輪場の、このまま放置してると撤去しますよって言うフダが張り付いてる自転車を
ぱくってこようかな。
放置自転車が氾濫しているとか聞くと、新しく買うのが馬鹿らしい。

外はもう夏のにおいを感じさせるには十分過ぎるほど麗らかで
人が持つ色も、半袖が増えたせいか肌色が多くなってきた。
短パンでもいいくらいだ。


ユニーにある本屋に寄って、京極夏彦の陰摩羅鬼の瑕を買ってきた。

自分は、同じ作家の作品に傾倒することをなるべく控えている。
幾ら面白いといっても、ある作家を読み尽くしちゃうと、なんだか不安な気持ちになる。
一気に読んでしまうとなおさらだ。
だから、ほとんどの作品を読んでしまっている作家については
その不安を物ともさせないほど、引き付けられてしまったということになる。

とはいっても、漫画と比べると小説を読むことは結構大仕事だし
読みつくした作家はほとんど居ないに等しいから、意味の無い気遣いだといえば意味は無い。



干したばかりの布団に包まれると、あふれるほどの太陽を感じて、とても豊かに満たされる。
たっぷりとした水量のシャワーを浴びると、言いようの無い充足感を感じられるのと同じように
太陽を感じることは自然に生きることの喜びを感じさせてくれる。



旧PCでのトラブルで無駄に1時間くらい過ぎてしまった。

ひとつは、たまたまセカンダリIDEチャネルのドライバを再インストールしようとしたところ
「ドライバはこのプラットフォーム用ではありません。」
とでて再インストールができずCDROMが認識されない状態になってしまった。
これの原因はDAEMONTOOLらしく、こいつのせいでatapi.sysがロックされるという症状が起きるそうだ。

もうひとつは、起動時にIRQL NOT LESS OR EQUAL 等とでて、ブルーバック即再起動となってしまう不具合で
この問題には結構前から悩まされていた。
グラフィックボードに違いないとふんで、ドライバを古いのにしたりしていたのだけど
今日たまたまGOOGLEで検索した結果、NICが悪さをしていた疑惑が浮上した。
そういえば、ドライバのインストール時に、いくつか思い当たる節がある。
ドライバを入れなおしたので、直っているといいなぁ。



1と2と、1と0の、差の差

■2004年05月30日(日)10:53  not in service
こういう良い陽がでているときには、布団を干すに限る。
タバコは両切りに限る。とくにバットに限る。
おっと。

布団をばしばし叩いていると、目の前の7階建ての団地に音が響いて
結構な自己アピールになってしまい恥ずかしい。
などと恥らっていたら、友人から叩きすぎは良くないといわれた。
ネットで検索してみたらその通りで、強く叩く必要は無いばかりか
強く叩くと逆に中の綿が固まってしまうのだそうだ。
古い布団だからか、叩くと結構埃が出るので気持ち良いんだけどなぁ。


10時半におきてしまった。3時半に寝たから仕方ないか。
一昨日なんかは相方の学生のせいで4時半に寝て、本当に久しぶりに午後起きをした。


昨日やっていたドラマもそうだけど、家庭には幾つも修羅場が潜在している。
そんなことを思ったのは、丁度今、隣の団地から女性だか子供だかのヒステリックな叫び声が、耳に煩いからだ。
こんな生活いやだ、とかいってたから女性だろうなぁ。

中世のころから、ヒステリーは女性特有のものだと思われて来たが
そんなことは無く男性も発症する神経症である。
しかし狭義のヒステリーにしても広義のヒステリーにしても
女性がヒステリーの状態になることの方が圧倒的に多い。そのわけは
『物事を解決するのに男性は理屈や理性
 で解決しようとするのに対して、女性は感情的に対処しようとする傾向が強いからです。』
からだそうだ。

『ヒステリー性格の特徴は、わがまま、強い依存心、虚栄心、見栄っ張り、自己中心的、
極度の負けず嫌い、虚言傾向、短絡的などです』
ヒステリー性格なんて言葉もあるんだな。
しかし、これに当てはまるのがそうだとすれば、大半の女性はヒステリー性格なのでは無いかなどと思ってしまう。

ちなみに、うつ病も女性のほうが多いのだそうだ。



自意識は果てしない。広大な無意味。短絡。

結果や実践こそが意味を持つ事柄について、その欠落を言葉で埋めようとしても
埋まるわけがない。
空虚と、言葉への幻想。

言葉は、格好よく見えすぎるんだな。
潔さや決意を、情報として体系的に表明しても、本質には触れられない。

やっぱり95%でいて、まるで熱した空気のように、ひとところに留まらない言葉達。

これぐらい繊維を砕いてあってぐじゅぐじゅな言葉のほうが、染みとおる。
赤子には離乳食。



他人を幸せにすることができないと悩む人間は
他人を不幸にするだけだと薄々感づいている癖に
自分と周りを騙し続けようとしている人間より、よっぽど善良だ。
わかっているくせに振り回され続ける側の人間は馬鹿だけど無害。

『他人を傷つけたくないのなら、貴方は誰とも深い交流を持たないほうが良い。』
現時点ではそんな忠告が適切である人間が、案外大勢居るものだ。
密接な付き合いに慣れている人間のほうが珍しいから。

人は人を犠牲にしてゆくことで、人を犠牲にせずとも生きられるようになる。
と、信じたいものだ。
そうしないと犠牲ばかりが増える。

■2004年05月30日(日)00:45  市内
新百合ヶ丘の友人を訪ねてきた。

路上で歌歌うという奇妙な趣味を持っている友人で
今年度からある大学に編入して、北海道からこっちの方にやってきた。
こっちに来てもまだ活動は続けるらしくて、いつのまにやら手伝うことになってしまった。
10万もするギター買ってるし、アンプとか現場に運び込むらしいしなんだか大事だ。
八王子に居たときは何らかの機器で拡声してる人のほうが少数派だった覚えがあるけど
人が多いとこじゃ当たり前なのだそうだ。

そんで、昨日今日はウェブページやチラシを作るためのお手伝いをしてきた。
あと録音に関する話も少々。
演奏してるところは3年ぶりに見たけど、その年月を十分感じさせるほどには、ギターの扱いも手馴れてた。
部屋にキーボードも置いてあって何事かと思ったら、ピアノのスクールにも通っているらしい。

高校時代に行われた、彼の初"路上ライブ"の見届け人が実は俺で、そういう意味じゃ感慨深いものがある。
当時は大学生になっても続けるとは思ってなかった。
今のあいつがいるのは、周りにいてくれた人々のおかげだって断言できる。
あいつ自身はいい加減で、見てて危なっかしくて
馬鹿みたいに素直だと思えば変なことで悩んで口が重くなるようなやつで
とても一人じゃ上手くやってこれっこない。
話聞いててもわかるけど、多分俺の想像以上に色んな人と知り合って繋がって来たんだと思う。
2年間で1000人はいってないと思うけれど、500人はいってるかもしれない。
ちょっと話したくらいのを含めれば十分いってるだろうな。
人懐っこいところはあるから。
バーで歌ったり、ラジオにも出る話が出たり、現地のサンスポだっけかな、に小さく載ったりしたのは
はっきり言って未熟な歌よりも、あいつの人間性によるところが大きい。


そういえば、必要な雑貨やプリンターを一緒に買いにいったんだけど
町田で銭形金太郎に出てた日野まことをみた。
集客力についてだけいえばかなりのもので
通りがかったとき、100人くらいは止まって見てたな。
歌詞に自分の名前をバリバリ使ってるところは、自慢しても良い彼の個性だと思う。
あほすぎて笑った。

新百合ヶ丘には奇遇なことに、もう一人小学校からの友人が住んでいて
幸い3人は共通での友人で更に仲も良いので、これからもちょくちょく向かうことになりそうだ。
しかし、同じ市内なのに45分くらい電車でかかるのは、勘弁して欲しい。

他に音楽やっている友人というと、tupoがいるけど
tupoが通ってた見たいにボイスのほうはスクールにはいってないとのこと。
tupoのカラオケの上手さを知っている俺は、それとなく声のほうも通っとけよ、みたいにいっておいた。
そういや結局tupoの演奏も歌も見れてないなー。


友人を通して、その友人が触れていたまったく別の世界を覗き知ることは
なかなかおもしろいものだと思う。
自分で触るんじゃなくて、覗くからこそいいんだな。




暑い。さらに蒸す。まったく蒸し暑い。




早く昔になればいいを読み終えた。
思っていたよりずっと良かった。

今の時代ではハッキリとした狂気が、昔よりも正気から遠ざけられている。
狂気の集合はより厳密に管理され、病院の灰色の壁や、お医者さんのにこやかな笑顔によって隔離されている。

何事においても、強く隠せば隠すほど、そこにあるものの存在を肯定するものである。
本当に何も無ければ"隠せない"からだ。
だから、「どうでもいい」なんて言葉が逆に、どうでも良くないということを
しばしばハッキリと浮き上がらせる。

目の届かないところに狂気を遠ざけ、完璧に隔離すればするほど
人はある一つの不安を、心の隅に残してしまうんじゃないだろうか。
自ら隠した何かの正体におびえてしまうんじゃないだろうか。
人は誰の中にだって、狂気の種が落ちていることを隠そうとしては
いけないんじゃないだろうか。

そんなことを考えてみるも、純粋な狂人に触れられる時代はもう終わってしまった。
加工された狂気でなく、まるで狂気の原石のような何かに、時々触れたくなる。



自分自身を誤魔化すことは呆気の無いほど簡単なことだが
自分自身を騙しきることは、不可能に近い。
いつか正しさは実現してしまう。
この世に不思議は無いから。

■2004年05月28日(金)20:14  ビジネス
支配人のPCの調子が悪いというので、対応しにいったらsasserだった。
PC保守のほうは部的にはサービスとしてやっているので、あんまり行く機会は無く
一人で初めから終わりまでやったのはじめてだ。

windows\prefetchとか微妙にマニアックな部分を不具合の報告に出してきたので、どうなることかと思った。
sasserCの実行ファイルに対応した、prefetch内にあるディスクアクセス情報ファイルを通じて
CPU使用率が100%人なるという症状で
それのおかげでウィルスに気付いた。

事前にどのプロセスがCPU使用率を食っているか等、支配人が調べてくれていて
対応完了の際、それに対して、助かりましたとお礼を言ったら子供のように喜んでくれた。
俺も無事対応できてうれしかった。
まぁ誰にでも褒めて欲しい部分っていうのがあって
そういうのはわかるから、俺もわざわざ本人にお礼を言ったという
作為的なものではあるけれど。
お互い終始喜んで完了できるのは良いことだ。



忙しくて疲れて、でも勉強出来てないからしなくちゃとか思っている俺を金曜の夜に呼び出せるなんて!
やっぱり大学生は気楽で良いな。

路上で歌うたったりしてる、小学生からの親友に今から会いに行くんだけど
用件もPR用のウェブページの打ち合わせとか、ネット環境についてとか、そういうのだし
友人の手伝いとしてじゃなくビジネスとして割り切っちゃって、見積り書出しても良いような気さえしてきた。
酒くらいおごらせるか。


依存は、進めば進むほど抜け出せない。
はまり込むと、いつか終わりがくることは決まっているのに、まるで終わりはこないかのような錯覚を覚える。
依存の度合い、つまり間違っていた度合いが、大きければ大きいほど
その年月が長ければ長いほど
依存から抜け出せた時の負担や衝撃も大きい。
犠牲も大きい。



時間に追われると本当に時間が経つのが早い。

■2004年05月27日(木)20:56  人は自分の信じたいものしか信じることができない。
だから、たくさんのものを信じることができる人ほど
強くて、悲しく、大きい。

書いた後、読み返したら違和感を感じたので、自分の中を精査してみたら
信じるという事がどういうことか、固まっていない部分があった為だった。
信じさせられる、疑えない、というのは信じるということじゃないんだな。
信じたい、信じようと思って、はじめて信じるになる。
信じるということは、とても感情的な儀式だった。
そして能動的なものだった。

明日太陽が昇ることを疑えないし、信じざるを得ないが
その段階では"信じてる"わけじゃない。


明日からの仕事の予定がなんか、すごい忙しそうでやばい。
案外、俺の思い過ごしで、実際は大したこと無いかもしれない。
いや、そうであって欲しい。
とにかく今は何も考えず休まねば。

久世光彦の「早く昔になればいい」を読んでいる。面白い。
奇妙で居て、古めかしく、気持ち悪くて、どこか心地良い。

人間は自分の中から何かを外に出したいと強く思うとき、吐き気を感じる。
何故そんなことで吐き気を、と他人に対して思うときがあるかもしれないけど、きっとそれはこういう訳なのだ。
心の中から外に出したいと強く思っても、吐き気を感じるから。
これはきっと、少ないけど思い当たる人が居ると思う。

じゃあ、自分の中に何かを強く取り込みたいと思うときは、どんな感覚を持つのかというと
それは単純に真逆で、食欲をもつ。
食欲の根っこにあるものといったほうが、正確だと思う。
むしろ、取り入れたいという欲求の上に、食欲が存在している。

いつも言っているように、自分は人間という存在を食いたい。世界を食いたい。
自分を食ってしまい得るもの全てを食いたい。壁や垣根を食いたい。
取り込んで内包したい。
その欲望に忠実に食べて食べて食べてきて、そして無くなって、飢餓に向かっている。

ただ幸せは食べてしまいたくない。
管理しないからこそ、良いものもある。
完全に犬を模した、コンピュータ制御の犬がいるとしたら、やっぱり犬に似せてあるから良いわけで
コンピュータ制御であることは単なる付属価値にすぎない。
としたら管理用の仕組みを加えているのだから、100%同一の存在にさせることは不可能なわけで
だったら、普通に犬が良い。


プライベートライアンに出てくる、エマーソンの言葉。
あれがとても好き。


もう木曜日終わりかよ。早すぎる。
時間が早すぎる。


今までずっと若者で居たから
見たことが無かったし、信じられもしなかったけど
"人間の成長"の中には、どうやら完全に止まってしまうものもある。
なんだか、ものすごく当たり前のことを言ってるようだ。
それだけ今までが特別だった。
全ての可能性は死ぬまで開かれているわけじゃあないんだね。
ネジの切れたチョロQみたいに、以前と比べて何の変わり様も見えないのに
もう進まない。

色んな種類の道があって、色んなチョロQがある。
そして、どうしようもなく、色んな終わりがある。

それを実際に見始めだす時期に、来てしまったか。

■2004年05月26日(水)22:16  社会人大学生
社会人大学生が、増えているらしい。

転職率、離職率の増加による技術、知識志向。
少子化問題による生徒減少で、大学の門戸の開放が進む。
昨年4月に施行された「改正学校教育法」。
MBAの認知度増加。
大学数増加による、大学間の競争意識の高まり。
高齢化社会による生涯学習の需要増。

などの要因があり
なるほど、確かに時代は以前よりも社会人大学生を求めているようだ。

このような現実に触れてみるまで気付かなかったけど
多分、社会人としての自分の、これからに向けた意識は
親の世代が20歳だった時のものとは、大分違っていると思う。
自分の周りの幾人かの友人も
彼ら自身は気付いていないかも知れないが、自然と時代に沿った意識を備えている。

昔との大きな違いは
自分を含め、皆、自身の市場価値というものに大きく関心を抱いていることだ。
以前は終身雇用が当然だったために、市場として社会を捉える必要が無かった。
当時、"市場"は会社だったのだ。
しかし今は違う。

まぁもちろん、転職率が8割くらいあるような現実があるわけじゃない。
要するに、社会人の視野が上がった、広がったっつうことだね。
"社会人大学生"という言葉は、キーワードだけれど
言葉の意味をそのまま取ることはせずに、背景にある事情や
それを支える意識や考え方を本質として捉えたほうが、いいようだ。

いやぁ、良い特集を組んでくださいました。
有意義な刺激を受けた。

あともう一つ、ある著者が期待していたように
社会人大学生のより明確な目的意識、実践的な思考、行動力をもって
大学という構造を社会的に再評価するとともに影響を与え
日本の教育制度に、風雲を巻き起こすことを自分も期待しています。
コメント

■2004年05月25日(火)23:57  『早く昔になればいい』
大事に育てあげられ、その結果とりかえしのつかなくなるまでスポイルされた美しい少女の常として、
彼女は他人の気持ちを傷つける事が天才的に上手かった。

村上春樹:著/『回転木馬のデッドヒート』より抜粋
〜という環境に育ち、その結果〜
いただきます。

村上春樹は、極端に言えば故郷に2度と戻りたがらないタイプらしい。
ほとんど自分のことを語らないけどね。
何か、あったんだろうなぁ。そして、この言葉。
何が彼にはあったのか、輪郭がつかめてきたと感じるのは、不確実すぎる予断だろうか。
作られた言葉と、伝えたい(潜在的にでも)言葉の、持つ性質の違いくらいはわかるつもりなんだけど。



寝てるときに目をつぶってると、とりとめも無く思い浮かぶこととか
通勤、通学で歩いてると、色々くだらないことを考えることとか
そういう無意識的な思考の量が減った。

日記や独り言に書いていることは、殆どがそれからきたもので
基本的に意識的な思考は、現実的な事柄に対応する為に割いている。
無意識的な思考の穴を、無意識に埋めようと
意識的な思考がそちらに少しとられているような気がする。

欠番は無理に埋めず、戻ってくるのを待つことにしようと思う。



ストレスというものを今まで本当に溜めたことが無い。
だから、どういうのがストレスが溜まっている状態なのか知らないけれど
最近溜まっている気がする。

誰のせいでストレスが溜まっているかというと、誰であろう自分のせいだ。
定時に帰るとなんか気が咎め、手が空いた時間ができると罪悪感を感じる。
要するに気のつかいすぎ。

慣れれば、これは解消する問題なんだけど
原因そのものである気の使いすぎと、今までと性質を異にする環境とがそれを邪魔してる。


何度も気を使わないように、むしろ横暴に振舞おうとしたんだけどなかなか難しい。
その理由は、礼儀は厚意であって、厚意は好意だからだ。

例えば電車の中での、そこらのおっさんに対する態度や視線。
それは特別悪い含みも良い含みも持たないが
もし、初対面の方にそういう態度で接したら、少なくとも親しくなろうとしてくれているな、とは思わないだろう。
そりゃいきなり打ち解けられるのが親しくなるには一番良いけど、それは難しい場合がある。
年齢が離れていたり、役職が離れていたりする場合がある。
しかし、親しくなりたい場合は好意的な態度をとっていかねばいけない。
馴れ馴れしくはせずに好意を見せるために、それに取って代わる厚意を持ち、礼儀を尽くすってわけだ。

つまり礼儀を尽くすことは、親しくしたいもしくは親しくなりたいけどそうできない相手に対して
ある方向から、精一杯好意を表現することなのだ。
が、同期とのように、簡単に親しくなれるならそれに越したことは無い。

慣れを阻害している最後のひとつの原因が、自分自身が持つその厚意だ。
ようするに、やっぱり気の使いすぎ。畏まりすぎ。
なんでもバランスが重要ー。

まいったなぁ。
人間関係に対しては、キャラミルで出たようにするめ型で、ゆっくり深く仲良くなるタイプだしなぁ。



友人がCCNAを受けて、819点だったそう。
正直、落ちたと聞いたとき600点台を頭に思い浮かべてしまった。
その点数なら次につながるし十分受かる可能性がある。
俺も、頑張らなきゃなぁとやる気が出た。



言ったことの95%が、最終的に、間違いであると判明する人間がいるとしたら
自分が言おうと思ったことの逆のことを言えばいい。

時間が経っても自信をもって正しいと思えること、実際に正しかったことが
5%に満たなかったら、上の条件に当てはまる。

嘘が1割、勘違いと間違いが2割ずつ、後の5割は思い込み。
良い言葉だ。

全体の5割である思い込みが、寿命の尽きた星のように膨らんで全てを飲み込んでしまう事がある。
その場合、思い込みの寿命も、尽きたのだろうか。



やっぱり風邪を引いてるとき並に脳が疲労してる。
それだけ仕事で頑張ってるってことで、良い傾向なんだろうか。


帰り際、今日は久々に早いですね、と事務の方から言われた。
少しうれしかったけれど、本当に恐縮してしまう。
まだ、仕事なんか何にもできないのに。
残れば残ったで、気にしてしまう。

■2004年05月25日(火)08:25  肉体疲労時には
7時間以上寝たのに、すっきりとは起きれなかった。
実質8時間くらい寝たのに。

ストレス。
大抵のことは気にしないので、ほとんどストレスを感じないタイプなんだけど
それだけに発散する事に疎いから、溜まってるのかも知れん。
いや、溜まってるのかどうかすらよく判らないんだけど。

昨日はほとんどデスクにいなかったと思ったら今日は午後いっぱい暇そう。
喋らず、作業もしないで勉強してると眠くなってしょうがない。

やっぱり眠くて勉強の効率悪すぎ。



給料来たー。残業手当キター。
一人暮らしなので残業やらないと食っていけません。
今月も同じ暮らしで乗り切れば、PS2が2台買えるくらいは貯金できそう。
とはいってもそんな質素に生活した覚えは無いし、もう少し贅沢しちゃおうかな。

この日があるからこそ、仕事のモチベーションを保ててるようなもんだ。まだね。




書くことは、噛む事で
十分に噛めばたっぷりと栄養を得られるし、消化を助けるため体に良い。
ただ、精神的肥満児にならないように。
それには適度な運動が肝要だ。



自身を磨耗させる日常は、恐ろしい。
1日に消耗する量は、ほんのちょっぴりだったとしても
100日と続けば見過ごせない量になる。
だから、ただの一日に、その100日のひとつになる一日に、たったの一日に
ドキッとさせられる。

だが、こぼれているからといって
穴のあいている砂袋に躍起になって新たな砂を詰め込めば
流れ出す砂の勢いは、さらに増すだろう。


条件が整わないと、会えない友達


一生子供でいてやろうとか思うけど
たった8年前の小学生のころの自分の気持ちが、いまはもうわかんねえなぁ。
それどころか2年前の気持ちだって、どれだけわかってるか怪しい。
いやいや、事に依るとほんの1年前の気持ちだって、もう半分くらい透けているかもしれない。

生き続けてゆくと、どうしようもなく情報が劣化していく。




散文的になってきたので、明日から、少し元にずらす。


あー、そうか。
見落としてた。まったく目論見が外れた・・・。
readmeもそうか。

■2004年05月24日(月)00:05  やんわりとした呪縛
ろぶとも不思議な縁だな。

考えてみれば、少しすれ違うだけで結ばれることの無かった縁が
意外と、かなりの数あることに気づく。

1回しか会った事が無いけど、多分同じ環境に居たら、いつも一緒に居るような親しい友達になれたような気がする。
それがわかることが残念だ。

だけど、それがわかるくらいに
俺が、他人のことをその人自身よりも判ることができるから
少しでも力のある言葉を送ってあげられて、うれしいよ。



STEAMに移行するには3年前のパソコンじゃ重過ぎる。
もうTFCのために、スペックの高いSUB機を買うか〜〜〜位だ。

戦闘中は忙しくてスクリーンショット取れない。
戦場カメラマンと戦士の両立は難しい。

http://noise.s5.xrea.com/zakki/s_2fort0000.jpg
http://noise.s5.xrea.com/zakki/s_2fort0001.jpg
http://noise.s5.xrea.com/zakki/s_2fort0002.jpg




目覚めたことを後悔するような、眠い朝だった。
今日は9時くらいに寝よう。



あなたの心は開いています、だれでもはいっていけるように。
本当はわたしだけの入口になるはずだったのに。
リルケ
そう。



4月分の工数実績。どんな作業を何時間やったかを
今頃提出しろとか言うなー。
主任に集めて提出するとかいってて、何も言われなかったから
俺の分はつけてくれてるのかと思ってたじゃないか。
ノートに仕事の内容を記録していて、今30ページほどになっているけど
何時から何時まで何時間やったかは記録してなかった。
これから気をつけないと。

あと、30分後に対応する必要がある事を、相手先にメールで伝えようとするなー。
案の定伝わってなくて、ほかにも色々重なり、初めて一人で事前対応したのに会議始まっちゃった。
会議始まってから、お偉いさんがしゃべってるのにリモコンピッピッとかやるのは
意識が遠くなるほど、、、なんといえばいいんだろう。
緊張、頭が真っ白、恐怖、申し訳なさ、焦り、そういうのがまざったようなの。
良い一言が浮かばない。
今度表現するときのために、見つけておこう。



羨望と嫉妬が座る椅子を記してある札。
それが、ある建物のある部屋では同じ椅子を示している。
その椅子に巡ると、同時に、二つがやってくる。



ああいう強い呼び方は、どこかで血が繋がっていないとできないものだ。
コメント

■2004年05月23日(日)11:00  傾いたE
8時におきようと思ったのに、9時までおきれなかった。
部屋が肌寒い。


「いいか、お前たちの半分はあっちに行け。もう半分はこっちだ。残りの半分はこのままここにいろ!」

エクセレント。


 B-BOY風ファッションの社長登場。
 「ここでTOUJO! 俺がDAIHYO! 狙うはTOUSHO! 一部JOUJO!
 株価JOUSHO! 時期はSOUSHO! 今日の昼飯餃子のOUSHO!
 (ドゥ〜ン ドゥンドゥンドゥ〜ン キュワキャキャキャッキャキュワキャ!)
 景気最悪! 襲う災厄! かかる重圧! 耐える重役!
 荒ぶる時代を生き抜き! そして毎日銀座で息抜き!
 今日もあの子のプレイでヌきヌき! そして嫁ハン激怒でメシ抜き!
 SAY HO!(HO!) SAY HO HO HO HO!」


フォレストガンプを再読した。
素晴らしい個性をもった作品だと思う。
ユーモアに溢れていて、更に大河的な感慨にも浸らせてくれる。
いつまでも残ってほしい一冊。


大勢の中で堂々と安心して寝れるなんて特異な場所は、電車の中だけだなぁと。
日本は世界に誇れる素晴らしい空間を持ってる。


来週金曜は、路上をやる友人の家へ行って、色々と打ち合わせだ。
忘れないようにしないと。


免許の更新しないといけない。
住所も変わったので、変更の手続きもしないといけない。
免許の更新だけなら日曜日でもできるんだけど
住所の変更手続きは平日じゃないとできない。
そうなると休みをとらないといけない・・・。

ほんと役所は融通きかねー。


今日も隈三昧というか、死相出てるのかなもしかして。
ポックリいっちゃったらこまるから、遺書でも書いておこうか。


現実的なことほど、論理的に考えると答えがかっちり決まっちゃってるから
人に教えたり解説したり講義したりするとき以外には、わざわざ口を出す気にならないんだ、多分。

■2004年05月22日(土)22:42  リアリスティック
主観的、客観的を、さらに内包する観点はやはり
外から見つつ、内に在るという観点しかない。

とりあえず物理的な法則に支配される場においては
偏在することなど無理だから、その観点を持つことは不可能だとはっきりした。

これが可能である場や可能性は、と・・・


マグロ納豆(というよりも納豆マグロだった)は美味いけど、300gも食うものじゃないね。


蹴りたい背中を読んでいる。
蛇にピアスより多少技巧的だ。
両方とも一人称によって書かれている。

リアルさとアンリアルさが、グラデーションして交互に強く濃くある感じだ。
フィクションのリアルと、ノンフィクションのリアルが交互に帯となっている。
それは現実でもあるってことと、そりゃイメージとしてはそういうのあるって思うけど、現実には無いよってのが混ざってる。

ユーモアに溢れているからか、俺の感覚がおかしいのか
少し微笑ましく読める。

定期的に、感覚を、少し凝った例えで表現する。

エキセントリックな感覚を、ひとつ主線にもってきている。
万人が共感することはできないかもしれない。
わかりやすく表現すると、S。

オリちゃん、匂い2。

エキセントリックな感覚の焦点を、だんだんとあわせてくる。

読み終えた。
若くて、特別な意味で普通な女の子が書いた小説、って感想。
彼女に対しても、10年後に残っているかは、期待できないな。

蜷川については、保留。

一人でまぎれるからこそ、とても心地良い学生時代のざわめきが
酸霧のように、肌をさすものである人間の話。

あと、会話の量。

■2004年05月22日(土)12:49  湯で目
不謹慎ながら、夢の中で友人を亡くしてしまった。
よく言われるように亡くなった直後は何もなかったかのように平静で
数時間後か数日後か(夢時間)、悲しみの波がぶわっと押し寄せてきた。

リアルな夢だったしマジで心配になったので、起きてすぐメールを送った。
ら、元気だった。
逆夢だよ逆夢。



みなとみらいのほうへ絶叫マシーンで行ってきました。
まぁそれは冗談で車でいったんだけど、運転結構慣れてきた感じだったね。
俺は免許とって3年くらいになるのにまだバックで駐車出来ない。
車に乗っていろんな町並みを見るのは、面白い。

ランドマークタワーもはじめて見た。
横浜にはあんな一帯があったのか。知らなかった。
お目当ての店に行くためにクイーンズスクエアに入ったんだけど
よっぽどの田舎から出てきた田舎者のように、パッとはその場所の存在意義さえつかめなくて
きょろきょろとただ連れられて歩いた。
ショッピング街みたいなものという受け取り方で良いんだろうか。
何の為にそこがあるのか理解できない場所にいることはとても興味深い。

で、マネーの虎で金をもらったというクレープ屋のチェーン店にいって
クレープ食べてきた。
さすがに旨いな。

カッポーばかりが闊歩していて、まるで戦場に居るような心持がした。
敵だらけ。そしてつまり、味方も味方であって敵。

後、建物自体がとても良いつくりをしていた。
中のバランスがなんか良い。
既存のバランスに則ってつくったのか、建物自身がバランスを作り出していたのかははっきりわからなかった。
それとなんか冒険心くすぐるかんじだった。


見るんじゃなくて、景色から目で吸い取る。
喉に流し込むんじゃなくて、貪り飲む。
そういう風に貪欲に情報を得ようとすると、器官が疲労する。



芥川賞とった金原ひとみの作品を読んだ。
影響力のある作品だったし、まぁまとまってる。

実際的、現実的な深みは薄い作品だと思う。
これが薄いとぽっと出で終わりやすい。要するに、土台がしっかりとはしてない。
知識やら経験やらのことね。それは年齢を考えれば当然だと思う。
これから先が楽しみではあるが、これから先が期待できる作家だと太鼓判は押せない。


しかし影響力があるといったように、別の深みはある。
俺が気になるのは登場人物のふたりの男の描写。
なぜ作者は、人を"自然"に殺せるほどの人間の"優しい"一面を
そしてそういう一面を持っていることを知っている。
作中でそれを表す描写があり、僅かながら強調されてあった。
経験からかな。それとも、色んな事実や答えをつかった積み重ね、計算から知ったのかな。

超わかりやすくいえば、意思によって暖かく優しくなれる人間は、意思によって冷酷にもなれる。

まぁそれに関する話は一概な話ではない。ちとモデルで表そうとすると根本的になって規模がでかくなる。
実際この小説では、それに関するある法則を二人ともに当てはめて、二通りの形で表している。

理解しやすくするための例えが難しいが
ある段階というか階層というか概念を、完全に包括する、管理するということは
その段階や概念に存在するすべての要素を包括し、管理するということだ。
つまり、温度というものを完全に包括し管理するのだとしたら
最高温度も最低温度も、管理できないといけない。
車を管理し使役するとしたら、車の最高速度も最低速度も、内包し包括しないといけない。
幸せがあるからこそ不幸があるだとか、人間は美しいからこそ醜いとかも
同じ法則に則っている。

ある段階や概念すべてを包んだら、そこにある要素のどっちか片方の極だけ欲しいという風には行かず
両極を含めたすべてを得なければいけない。

だから感情的な衝動や環境の後押しを得られずとも
いつでも自分の意思で人を殺せるほどの人間は、意思によってその対極の性質をも行使することが可能だ。
その範囲を、意思で包括し管理しているわけだからね。
厳密に言うと異なるが、つまりそれが優しさを持っているということにもつながるわけだ。


うーん、この概念をわかりやすく表すために必要な、能力も、労力も、時間も、量も足りてないために不十分だが
まぁいい。
バランスの良いコストパフォーマンスでもって、満足しよう。

後、人は死というものに幻想を抱きすぎる。
この作品にも出てくるわけだが、殺せるだとか、殺してくれるだとか、殺したいだとか。
幻想に酔うのは勝手だが、それを幻想に酔っているのだと気付ける人間が少ない。

なぜかというと、当然のように死に近づく機会が少ないからだ。
遠いところにあるものほど、憧れや幻想をまとっていくものだと、昔から決まっている。
ずっと山に住んでいて、海の存在を知ったものは、海に幻想を抱くものだ。
逆に死に対して近すぎる人間は、死に幻想を抱けない。

俺はどっちもごめんだね。どちらかだけじゃあ、一元論的だからな。
たぶん主人公は幻想を抱いてしまう人間じゃないし、幻想を抱けない人間でもない。
が、会って見なきゃわからないな。会ってみりゃわかる。


あと、主人公のうつろな表情とか、想像できる感じでよかった。
擬似的にでかくなっている器もね。
女性の器についても、また色々あるのだが、とりあえず処女と非処女は
明確な区別を持ってわけることができる。

■2004年05月21日(金)20:29  leisure of sorrow
酒飲んで、素直に開放すると神憑ってくるな。


もうあれから1週間たったことに気付いて、びっくり。


忙閑に斑がある。
それも一日単位だったり、時間単位だったり。
上司に忙事を求めようにも、それだけ何かできるわけじゃないし、訴え出るのが憚られる。

と悩んでいたら丁度今日、部長が俺に別の仕事もやらせる、といっていたらしいと聞いた。
主任からの又聞き。
正直今の業務だけに付きっ切りで4年やっても、一人だけで対応できるようになる自信が有るとはいえないし
色々経験させてくれたほうが嬉しい。

今日は月例のあれの準備があって、午後は忙しかった。




そんなに素直に頼られると好感を持ってしまう。
擬似的な兄妹愛みたいな。
会えなくてよかった。

■2004年05月20日(木)00:03  nazo
23:54:18] 888(godlike) の発言 :
週休三日半で
[23:54:25] 888(godlike) の発言 :
十分に生活していけたらいいな
[23:54:35] **** の発言 :
いけたらいいなですか
[23:54:37] **** の発言 :
ですな
[23:54:42] **** の発言 :
そのくらいがちょうどいいかも
[23:54:50] 888(godlike) の発言 :
なんで
[23:54:56] 888(godlike) の発言 :
以前よりテクノロジーは進歩してきたのに
[23:54:58] 888(godlike) の発言 :

[23:55:4] 888(godlike) の発言 :
そうならないんだろう。
[23:55:8] **** の発言 :
そうっ!
[23:55:17] ****の発言 :
なんででしょうっ
[23:55:27] 888(godlike) の発言 :
これは現代における最大のなぞだ。
[23:55:30] **** の発言 :
うん


誰か解決して。



hima.
CCNAやるも、WAN、ISDNのあたりが
なかなか効率よく頭に入らない。
一読するだけで、なんとなく概要をつかむのが難しい。

喉越しの悪い素麺を食っているかのような、ムカつきを覚える。
ツルツル食おうとしているのに、ツルツル入ってこないのだから
当然といえば至極当然。

一応、認定ガイドと秀輪システムの問題集を一通り読み終えた。合わせて1400ページくらい。
自分の能力を客観的に捉えた上で考えてみると
このまま受けたとしても、問題の良し悪しによって変動するとして
取れる点数は50%〜70%くらいかな。

やっとこ道程の半分ってところかも。


帰り道、傘差して前を歩いているおじさんが小さな声で歌っていた。
そのうちのってきちゃったのか、ガンガン声をでかくして歌いだした。
満足げだった。
こっちきてから、一風変わった人と道で出会うことが多いぞ。
なんでだろう。



人は、自分の持っているあるものの価値の高さを、自分に言い聞かせることがある。
これが存外、背水の陣であり、諸刃の剣であるのだ。



ぎゅうっと丈夫な紐で石を縛って、縛っていないほうの紐の先を持っているとする。

その場合、石が落ちたり動いたりしなかったら、結びつきの強さや紐の強さは問題とならない。
ギシギシ張っていてそれでも紐が外れていなければ、目安となるのだけど
たゆんでいる紐の状態から、結びの強さや紐の強さなどはわかりづらい。
もちろんどれだけ踏ん張って、どれだけ強い事手で紐を握っているかもわかり辛い。
むしろ、縛る必要など無いのだ。

これは人と人の結びつきにもいえる。

どんな時に、結びついてるって実感できるのか。
どんなときに、結びつきの強さや状態が目立つのか。

まぁ何事においても、余りにわかりやすいと人は勘違いをしてしまいやすいわけだが。

俺は、俺が必要ない人間は、必要ない。
どんなに強く結ばれていて、時に踏ん張ってみても
それが動かぬ石であったら、結びつくことに何の意味も無い。
自分にとってそれが、飛んだり、落ちたり、走り回ったりするものだからこそ
結びつく意味があるってものさ。



本当はいつも誰よりも
君の事を想っているんだ
誰にも負けないくらい
君のそばにいたいんだ
矢野絢子




木曜はいつもより少し多く酒をのむ。
いつもは発泡酒一缶くらいだが、倍か3倍は飲む。
つとめて陽気に過ごす事が木曜日の存在理由であって
銭型金太郎を、見る。

最近ねむくてしょーがねぇだぃ。
母から電話。
コメント

■2004年05月19日(水)08:25  幸せの似合わぬ人間など、ときたか。
6時間寝ても朝眠い。
眠気の馬鹿。

研修中は睡眠時間だけはたっぷりとっていたので出なかったけど
また目のクマが出てきた。
これで痩せ細ったり、目をぎらぎらさせて
「悪鬼のごとき形相だ」とか言われてみたい。


気持ちばかり焦ったって、もちろん良い。
ただ、決まって何か大切な相棒を置いてきてしまったような、心細い気持ちになるものだね。
何を置いてきたと感じているのだか、はっきりとしないけどさ。


CCNAは問題集を580ページくらいまで読んだ。時間無い。
1ヶ月やるからCCNA取れ、とらないと首。とか言われてみたい。
絶対幸せだって。


表情が素敵だとかいつも笑顔とかじゃなくて
表情が豊富な人って言うのも、魅力的だ。
何かしら顔や体が好ましく動いていて、見ているだけで楽しい。


残業しないと、生活苦しいなぁ。
貯金をこれこれこれだけできないと生活苦しいと感じるってんだから、飽食時代極まれりという感じだ。
知り合いには苦学生も居るというのに。
でも1年間に残業の限度値っつうのがあるんだよね。
だからしすぎても代休になるだけで、お金になんない。


Jupiterを歌っている平山綾香、ああいう人間を一人でも多く見たい。
プロであることがなんと後から付いてくるような、絶対性。



帰り道、おじさんからいきなり、すみません300円いただけませんかって言われた。
神田のほうからきていて、帰る金がなくなったのだそうだ。
「郵送でいいですか、必ず返します」というので
「いえ、これくらいなら大丈夫です」と快く笑顔で渡す。

俺なら金をくれるだろうと踏んで、無心してみたのか。
本当に困っていて、くれるだろうと思って頼んだのか。
実際のところはわからない。どちらもあり得る。

事実は、あるべくして多元論的であり、なるべくして一元論的になる。

バカの壁の作者もなんとか辿りついていたようだけど
人間のスタンスとしては、二元論に集約させることが一番賢い。
良いでも悪いでもなく、賢い。

例えば
こだわることもでき、こだわらないこともできる。
こだわることしかできない。
こだわらないことしかできない。
両方できない。

一番最初だけ二元論的で、後は一元論的だ。
全てを一番最初の例のように考えることが、二元論への集約だ。

バカの壁の作者さんの、"私の考えは二元論に集約する"という言い方もちと問題がある。
二元論を選択することしか考えなかったら、その時点で一元論的だからだ。
そのひとつの可能性をさらに内包することも、考えたほうがいい気がする。
俺は昔から、"可能な限り二元論までは維持する"と表現してきたが、この言い方のほうがいいかも知らん。
コメント

■2004年05月18日(火)12:57  都会地のアパートに於いては
井伏鱒二の山椒魚をよんでいる。
作者も作品も、とんだ食わせものだった。

今半分ほど読んだけれど
何らかを語るには全て読んでからのほうが良いだろう。
何を語ろうとも思わないかもしれないが。


今までいくつか本を読んで、いくつか感想を書いたことがあるので
探し出してまとめて、置いておこうかな。



同期一人と、部長と部長代理とで飲んできた。
3時間近く飲んできた、思ったより長く飲んだ。

やっぱり、出向先では上の方が居なくなるまで4年、次に引き継ぎ終わるまで後数年、あそこなのかな。
実質的には新人でいて現在リーダーみたいなもんだけど、なんかな。
つなぎとめられてしまったら、困るというか。
それにオープンスキルじゃあない。
ただ、システムがそう遠くない将来IP化する動きがあるということは、聞いてなかったので驚くとともに嬉しい。
1から学ぶ機会が出来る。
とりあえず今日はあんま忙しくなかった。

自社は、まだ若い会社だから、会社から生まれた上の管理職が居ない。
全部下ってきた人だ。
"そういう意味"でわれわれは期待されてるんだろうか。
と、淡い期待を、とても淡いなどとは形容されない漆黒色のガソリンにする。

部長代理に、自社の上の人がだらしなかったり、駄目だったら
俺にこっそり言えばいいから、といわれた。
その必要は今のところなさそうで、よかった。
結構直接評価を口にされるものだ。

部長が、まったく情熱的な人だ。
頭が切れるわけじゃないが
役員でありながら学校での企業説明会に出るくらいであって
もし俺が役員だってもそうしたがるだろうから、燃える男だ。

情熱というものは燃えると形容されるとおり、炎と似た性質を持ってる。
どんな汚い風でだろうが、煽られれば燃え盛るし
どんな汚い木だろうが、燃え出したらどんどん燃える。

ゴミ屑の為に死ねる活力とさえなるものこそが、情熱だ。


とりあえずまだ1ヶ月と半だし、たまには羽目をはずして馬鹿なこと考えて
幻想持ちつつ、仕事仕事仕事ーでいいよな。




使えるか使えないか。
俺がそういう視点から見れば君も使えないし
そうでなくても総合的な意味では、現状の君の周りと比べても君は多分大差ない。
肝心なところで、論理的でない論理、積み立てられていない論理を使う癖はほめられたものじゃない。

わかりやすいだろうと思う。
例えばもし、こういう視点だけからしか、俺が人を見ないのであれば、俺はこういう人間なんだよ。
言ったとおりね。
ここが二元論を維持できない、ラインであったらね。


自我は水に似ている。
人格形成の完了とともに、凍りついてしまう。
それまではあれほど柔軟に形を変えたものが
また熱をいれられなければ、動くことは無い。
暖めようにもどんどん冷え行く。

■2004年05月17日(月)06:42  蝦手茶色
8時に寝て、6時におきた。
早寝早起きして不健康な寝方とは。
4時くらいにはおきると思ったんだけどなぁ。
しかし、昨今、類を見ないほど描写が精密な夢を見た。

さぁ勉強。



1週間ぶりにいったら、自分の席が替わってた。
色んな人と離れただけで良い事無しな気がする。
自分でも気付かないほど懐いてたらしい。
移動したといっても、以前の席の前の席に来ただけなんだけど。

本社に色々と業務移動する関係で、6月一杯の予定で研修の事務の方が、前の自分の席に来た。
MEGUMIみたいな感じの人で、超Sっぽそうな人。
俺が20歳って紹介されたとき、若いですねっていってたから、どれくらいかわからんけど年上だな。
予想では25前辺り。

むう、6月一杯が終わったら前の席戻れるんだろうか。

別のグループにも先日、ある人の後任の新人の男性が来て
自己紹介のメールが来ていたので、自分も新人だと返事を送っておいたけど
やっぱ別のグループだと接点無いな。



今日は忙しかった。
1日が一瞬だった。
情報共有が、非常に重要な位置を占めてくるようになった。

しかし未だに、主任が管理している情報の全体像が見えてこない。
氷山の一角しか見えない。
あんな適当でアバウトな管理のしかたで、どれだけの情報を管理してるんだ。
そこに驚く。

今日は直接関係無かったけど
俺が管理しているPCの情報、エクセルとかで整理して送ったほうがいいんだろうかな。
考えてみると、俺がもってる情報が無かったらほかの誰も対応できない。

上の人間から、こういう情報をこう管理しておけと言われていないので
自分の体験から情報の重要度やまとめ方を選ばんといけない部分もある。
聞けばいいんだけど、聞く以前の意識の部分でというか。
1から100まで聞くことが不可能な場合もあるから。
まぁ、それほど重要な情報をもっていないからこそ、こんな試行錯誤的な位置に居られるわけかな。

それにしてもPC管理については口うるさく言われる。
常時設置のPCばかりではないので、いざパッチを当てるとなると一仕事だ。
1ヶ月ネットワークに接続しなかっただけで情報更新要請が来る。
もちろん対応をおざなりにしていると、今度は本部から部長等上のほうに直接要請がいくわけで
システム管理者としても要請を怠るわけにはいかないことはわかる。

情報の種類にすら機密性がありそうなので、あんまりぺらぺら書いちゃいかんね。



担当の承認も形の上で必要になってくるということで
シャチハタを買った。意外と高かった。1200円もした。

後ハンカチ買った。これは必要だと思います。

あと、名刺入れ買わないとな。今まで一度も渡したこと無いけど。
あと、自転車の空気をスプレーで入れるやつが欲しい。
どこに売ってるんだろう。



ウェブサイトの学校ばれはぜんぜん平気だったけれど、会社ばれは無理だ。
気をつけよう。
コメント

■2004年05月16日(日)09:06  乳白色
『あ?プリキュアだけだと思ってます?』
は、名言だった。
とりあえず友人が強く勧めるので、何通信だったかな。
そう、マシュマロ通信を見てみようということで、8時半起き。

まぁ真面目な話、誰かが強く勧めるものは
何かしら良いところがあるから、その人の心をつかんだわけで
まったく誰からも勧められないものよりは何かありそうだと思う。
だから、他人から勧められた物はなるべく触って体験してみることにしている。

自分の興味が無いものこそ触って見なさい、と良くいわれる。
興味というものが無意識のうちに可能性を狭めているのだ。
ある傾向を伴った枠にはめてしまう。

そうやって色々と体験してみることは、色んな良いことを実際に齎してくれた。



日曜日は9時からもアニメやってんだね。
ズッコケ3人組をやってた。

小学校4年生のときは、昼休みは必ず図書室で一人本を読んでいた。
一番太っていた時期で、ズッコケで言えばモーちゃんくらいの体型をしていた。
その時期に読み耽っていた覚えがある。ズッコケシリーズ。
4年生の1年間は本漬けだった。
クラスの決まりで皆読んだ本の冊数とページを記録していて
自分は400冊近く、9万ページ近くを1年間で読んだ。
でも、ずるしてたから、多分10%くらいは割り増しされてるだろうと思う。

バスケットを始めたのも4年生のときだし
一匹狼のいじめっ子で、今では中のいい友人からも毛虫のように忌み嫌われていた時期も4年生のときだ。
あの時は、喧嘩が強いやつが一番えらいと思ってた。
市内の音楽発表会で、独唱をさせてもらったのも4年生のときだ。
愛犬を飼いだしたのも4年生のときだ。
親からブタと日常的にいわれていたのも4年生のときだし
弟に精神的な疾病を引き起こさせてしまったのも4年生のときだ。
こう書くと、まったく大げさに聞こえる。

そういえば、4年生のときも、演劇発表会で主役をやらせてもらった。
鶴の恩返し。
あー、思い出した。そのときおばあさん役だったのがユリさんで
だからたまに夢に出るのかもしれない。

あの時期の一年はそこそこに濃かったな。
有難い。
それだけ一生懸命で流動的でいられて、無事だったってことは、色んな人に支えられたってことだと思う。
誰かしらに親身に、強く支えられないと、子供のときのようにリスクを背負って生きられないことは
一般的な大人の生き方ってやつが、そのまま証明してる。

会ってみたいな。



ソニータイマーのようなものが仕込んであるはずはないと思うんだけど
2年前に買った靴下達が、一斉に穴あきになってゆく。
もう、4,5足使えなくなってしまった。
靴下の寿命はきっかり2年だったのか。




閉鎖病棟読んでて、登場人物の一人に怒りを覚えた。そこまで強いあれじゃないけど。

感情移入すること自体は多くない。
でも、強く感情移入するのでたまにこうなる。
絵空事であり抽象的な、他人の痛みも心痛も、過剰に自分の心の中で具現化する。

そうすると、理性がゆるしちゃうんだな。
自分にとっての悪に、危害を加えることを。

映像では、青の炎でも怒ったし、パニックルームでも少し怒った。
しかし、自分にとって怒ることや許さないことは非常に重大なことで、現実にはほぼ無いに同じい。
未然に防ぐし、それほど大きなトラブルやショッキングな事件は現実には少ないものだから。

絵空事だからこそ、たまに、遠慮なく怒れるのかもしれない。


読みすすめて、自身の正義というエゴの醜さを再確認した。
感情やモラルは押し付けるものではなく、呼びかけるべきものであるということを
再度心にとどめないとな。
ただ、これは万人にはいえない。
自分の感情を、押し付けることがすばらしいという事もあるものだから。
コメント

■2004年05月15日(土)10:55  魔都新宿
18才だと、風俗よりパンツのほうがいいようです。


10年後とかもふつーに、あの辺プラス2,3人で飲んでそうだね。
むしろ各々の連れとか知り合いとかの参入で増えそう。
最終的には各々の子供のお披露目とかもあったりして。

池ちゃんがコスプレミニスカで店員ってマジなのか。
まぁ可愛い子が一杯居るとのことなので、den君つれてまた学園祭いくよ。
またあったら、転職勧めておきます。
指名制か・・・。



小学校からの友人が連絡よこさない。
GWあけたくらいにあって、ウェブサイトを作ってあげる約束とかしたんだけどな。
あの薄情物。
彼は路上で歌うことをまだやるらしく、それのプロモート用に作る予定。

別の、小学校からの友人から携帯変えたという連絡があって、また会おうっつう感じになったので
一緒に会えばいいかな。
小学校から継続して付き合いがある友人は6人くらいかな、居るんだけど
そのほとんどが神奈川近辺にいるので、会いやすいっちゃ会いやすい。


自転車返却のために警察の方に来てもらったんだけど
ある典型にばっちりはまった感じの人だった。
上司部下と二人組みで来たんだけど、結構きつい口調で怒ったり教えたりしてた。
上司のほうがね、いかにも警察の人。

演劇にどっぷりつかった人生を経験してみるのも良かったなと思いつつ、大嘘こきながら書類作成に協力。
このお仕事されて長いんですかとか、世間話をしながら現場を教えたりしたんだけど
やっぱり制服の人と居ると人目に付く。

最後はお仕事ご苦労様でした、で終わり。



やることが休日ながら色々ある。
1週間家空けたわけだし、連絡も色々あるし報告も色々あるし調整も色々あるし
髪の毛も切らないといけないし、家の掃除もしないといけないし。

まぁ勉強もしないといけないし
閉鎖病棟って本、期待せず読んでみたらかなり面白かったし。
山本周五郎受賞作なんだけど、賞とってるのはやっぱり違うなと思った。
100ページでまだ人が死んでないのに十分面白くて
でも人が死ぬ作品なんだよね。
なんつう贅沢な。

CCNAのほうは350ページあたりまで問題集を勧めた感じ。
研修中にもっと進めようと思ったんだけど、暇ながら時間が無くて駄目だった。
毎日一応7時過ぎまで拘束。

駄目人間になった夢を見たら、覚めても駄目人間になった気分がする。
知り合いと間違えて人を叩いて、怒られて、逆にこっちから殴りかかって喧嘩に負けて、という夢。
窓開けっ放しで足が冷えたからか。

明日色々しないとなあ。



疑問は可能性を大きく拡大してくれる。
"何故"の一言でぶわっとね。とてもいい物だ。
未来が可能性なのだとしたら、疑問こそ未来だとさえ言える気がする。

ただし、会話において"何故"くらい抽象的で規模の大きな疑問を相手にぶつけた場合
相手に、大きな労力を負わせることを忘れてはならない。
可能性の収縮を相手に求める、つまり答えを求めるわけだからね。
抽象的な疑問ほど他力本願なものだということ。
最悪の場合、1からの説明を相手に求めることになる。

能力のある人間の質問ほど、的確な規模と方向性を持っている。
細分化させすぎもせず、肥大化させすぎもせず。
もしくは、質問と同時に、自らの提案や考えをあらわして、質問をぶつける相手の労力をなるべく減らしてあげたりね。

そこにある精神こそが、良質な議論の本質だと信じたい。


実は、疑問にかぎらず抽象的な言葉は、他人にある種の労力を負わせることを前提としたものだ。
相手は翻訳せねばならないからね。自分の中の世界の言葉に。

抽象的な詩や小説などは、その"労力"、つまり想像とか理解の過程を楽しませることを目的としたものがあるけど
個人の自意識をもとにした"ポエム"などは
他人がその抽象性の翻訳を楽しむかどうかなど考えてはいなかったりする。
それどころか自身の誇示や、労力を押し付けることで優越感などを得ようとするものである場合がある。

意地悪なぞなぞみたいな、解けない謎を押し付けて他人を当惑させ
知った風な態度をとりながら、知らん顔をすることは
その人間に自信を与えてくれるのかもしれない。

お遊びだとか、適当な場合は問題ないし、むしろ抽象性を混ぜてみたりするのもいいが
真剣な場だとか、実際的な物事に当たる場合、抽象性は長所とならない場合が多いのだ。

結局、抽象的な物だろうが具体的な物だろうが、相手のためを考えたことは相手のためになり
自分のことだけを考えたものは自分だけの物になることが多いっつうことかな。
コメント

■2004年05月15日(土)10:22  刑務所は無理だ
1週間、山であんまり関係ないような実習をしてきた。
別の会社の人たちとかと、21人で。

バス停から降りて地図をもらっていなくて早速迷ったので
一緒のところに行くだろうと思われる二人組みに話しかけて一緒に行った。
良くしゃべる人だったな。

講師に少し変わった人が居た。
怒鳴った後、すぐ猫なで声になるのね。
飴とムチ、みたいな。
でも本性は結構やさしい人だった。

感情的でもなく理性的でもなく、本能的な人間という感じの人。
本能に生活等いろいろなものが染み付いている人間は
格闘技とか、反射速度を求められる場合恐ろしく強い。
ただ現在のように様々なシステムが論理性を元にしてがちがちに固まっている場合
感情的な人も本能的な人も、ある意味弱いんだよな。

本人もそれはわかっているみたいで
「法律は1+1=2なんだ、でも情とか現場は1+1=3なんだよ」
と、いっていた。
俺も良く使う数学を例にしての、論理性と非論理性の区分けか。
あのタイプの人間にしては良くたどり着いたなと思った。


新人研修とはいっても、結構年のばらつきはある。
36歳とか20代後半の人が何人かいた。
名古屋から来た人は面白かった。
毎日クラブで5時まで遊んでた元ギャル男で、とびとかやってたらしい。
ただ、俺は苦手な風に思われたみたい。

彼は、落ち着いていて理性的っぽそうな人間、まじめそうな人間は
すべからく目上の人間である、というすりこみが働いていて
実際現実がそうだったタイプの人間らしく
俺は目上じゃないのに、なんか居心地悪いとかあったみたいで。
まぁ仕方ないかな。


後は高校卒業して就職って人も何人かいた。
グループ単位での作業だったのもあるけど、皆結構打ち解け
笑いのたえない研修になってよかった。
最終日なんか3時まで飲んでた。

特にI君という子がすごく懐いてくれて、携帯の番号も交換したし
また外で会えたらいいね、って感じになるくらいまで打ち解けた。
いや若くていい。
俺のガキっぽいはしゃぎ方と、彼の子供らしさが上手いこと共振した。
自分のポジションも高校のときに戻った感じで懐かしかった。
天然系のボケで講師含めその場の全員笑わせる、みたいな。
とにかく彼は研修のマスコット的な感じで、いいムードメーカーだった。
愛嬌があって、あれはお姉さんとかに可愛がってもらえるタイプかもしれない。

後は同期の人がもしかしたら虚言癖をもっているかも。
同じ学校の別の科からの人なんだけど、さすがうちの学校は変人ぞろいだ。

21人も環境も年齢も違う人間がいると
場として年齢相応の成熟度が決まっている感じじゃなくて、面白かった。
個人個人、大人な人も居ればまだ未熟な人もいるという感じ。
学生時代、場として、年齢相応な場、幼い場、大人な場、と色々触れてきたので
興味深いね。



研修自体は、有意義だったかな。
技術的な意味だとあまり意味は無かったけれど、そのほかの点で。
工事を一から電源投入まで一通りこなしてきた。
俺は現場とか行かないんだけどさ。

あとU岡君とも親睦が深まったよ。
彼は見た目からすればもう中堅社員だし、会社にも順調になじんでいる感じだった。
俺を"面白い"といってもらえた。

■2004年05月15日(土)02:33  しこり
かえってきた。


雨の匂いと雑木が燃える匂いが混ざるだけで、自分にとってこんなに鮮烈なのだとは思わなかった。
キャンプとかいろいろ、よくいったのさ。


まるで異世界のような夜の町の中を歩いている途中
新社会人か就職活動中の若い男女が駅前にいて、男が部屋かホテルに女を連れ込もうとしてた。
抱きつきながら誘う男に、「え、(まさか)本気で言ってるの?」、「あいちゃんが居るじゃない」、「やだ」、と。
ありゃ駄目だろな。おもしろいもの見た。


言葉の問題点が二つある。

一つ目は、高度な論理性を理解させる場合、ほかの全てのものごとと同じように、それに対応した高度な能力を必要とすること。

二つ目は、言葉が、論理性の具現化自体に利用されるとともに、個性や感情の表現にも使用されているということ。
つまり、数学における数式のように、論理性を言葉という記号を使用し実際に表すことに使用されていると同時に
気持ちを他人に伝えることにも使用されているということ。

これにより、その区別におけるセンスと、理性を単なる要素と捉えられるだけの器の大きさが必要となる。
感情と理性、主観と客観。
それは本来同時に存在し得ないのに、言葉の持つ特性のせいで、かぶるんだな。

絵にはかけない美しさは絵には書けないのに、言葉で表せない美しさは言葉で表せているというこの例が
もうそのまま表しているね。

要するに、やっぱり、高度であったり複雑であったり規模の大きなものを伝えるには
相手の能力、センス、器の大きさ等、いろいろなものを要求するということ。

つまり、つまり。
付き詰まると論理性という非常に大きな普遍性(土俵)も、実質的に個性となってしまうわけだ。

デジタル技術はすばらしいけれど、高品質であり、データが複雑で巨大なほど、機器に能力を要求するのと同じかな。
極端に巨大な能力を必要とするデータなら、規格は一緒でも、世界に一台しかないスーパーコンピューターでしか扱えない、とか。
普遍的であり、同時に個性的であるわけだ。

もっとわかりやすい言葉でまとめると
馬鹿に小難しい事言ってもわからないし
すぐカッとなる人に正論言っても効果ない場合がある。
っつう感じかな。
それを厳密に理解した。

関係ないけど、主観と客観を同時に包括する、新たな位置を見出すことができたら
もう一段上がれる。
限界に近いと思うけど。



部屋も散らかっているし、色々研修のこととか今日のことも書きたいけれど
とりあえず寝るか。
自転車、ちゃんとシールをはがして放置すればよかった。
明日警察がもってくるとかなんとか。
いきなり電話機手、盗まれましたかってきかれて
まさか自分で放置したとも言えず、4月に無くなったんでそうかもしれませんといったら
署名捺印をしないといけないらしい。
天罰だ。
せっかくの休日なのに、それがしこりとなって残る。
もし嘘ばれたら怒られるかも。
でもばれないよな。
お縄とかにならないよなぁ。




熱いうちに歪んで、時間がたって冷めたり覚めると、歪んだまま固まるよ。
なるべくまっすぐいることです。
それだけの強さや能力が無くても、あたってみればいい。
ひねくれたり、無意味に遠回りさせたりすることは無い。
自意識なんて捨てなさい。

外に出る必要がまったくないものは、結局外に出ない。
外に出す必要があるものなら、自然に外に出せばいい。

■2004年05月09日(日)15:04  モスキートと呼ばれる化け物にやられた。
ちょっと山奥に、5日間ほど泊り込みで研修に行ってきます。

時間がなくなると、面白くなるもんだねゲームとか。
無い暇をつぶすからこそ面白いとは。

http://noise.s5.xrea.com/zakki/s_well0000.jpg
http://noise.s5.xrea.com/zakki/s_well0002.jpg
http://noise.s5.xrea.com/zakki/s_well0003.jpg

■2004年05月09日(日)00:06  エキスパート
南太田はそういう町だったか。
いろんな町をぶらぶら旅したい人が、どういうものに惹かれてそれをするのかわかる気がする。
町ごとっていう小さな単位にも色というか、においというか、何かあるね。

起伏の多い地域で、上方からの眺めが面白かった。
右手に丘、前にも丘、左にも丘。
それを埋めるように家。
いい部屋だ。一人で住むには広すぎるけど。

しかし、den君。お姉さんぜんぜん似てないじゃないか。
あの目がそのまま付いてると思ったのに。
似てるのは顔の形だけだった。

明るくて快活な感じで、シスコンになるわけもわかる気がする。
彼氏さんが興味深かった。
表情に影が入っている感じで、二人ともが推察するように客商売は苦手な感じ。
そう、denが中に見える。
お姉さんも彼氏の中にdenをみてるところがあるんじゃないかなぁと。

家族ってものの影響は、かなり深くて根本的な部分にあるがゆえに、気付かないことも多い。
いろんな例を見てきたけど、親という存在は嫌っているのに、親が持っている性質を他人に求めていたりね。
親が持っている性質を、自分が追い求めていたりね。
その人間が嫌悪している親にその人自身が実はそっくりであるということもあった。

なにはともあれ、そういうデンジャラスな展開になっていたとは知らなかった。
前科持ちになるときついよ。
っつうか、良く今までばれてないな。
正直次にあったら、転職を早めに考えることを勧めようと思います。


むう、CCNAについての会話を聞いていると、まだ初耳の単語が多い。
やばいな、無理して時間作らないと。
期限もないし、命令もないし、必要も無い。
かろうじてあるのは、7月までにとりたいっつう希望だけ。
しかし3人で事務所開くっつう提案はなかなかいい。
10年15年あれば不可能な話ではないね。



営業について、営業顧問の方の話と、俺の言ってることがとっても近い、か。

経験技術から抽出された論理があり、それが体系化されて学問と呼べるものになる。
自分は論理を繰ることを業としてるから、辿るものは違えど結果として同じ言葉にたどり着く。
経験から導き出された論理と、論理から導き出された論理。

しかしまだ、よくある、小説家の残した文章と、それを知らず俺が言ったことが似通うっつうのは意味あるけど
営業顧問の方と、結果としての言葉が似通っても、意味ないな。
正しさを支持されたわけだから少しうれしいけどさ。

過程が重視される部分で、俺はその過程を持っていないわけだから。
行間が重視される部分で、行自体をいくら綺麗につくろっても仕方が無い。

つうことで
過程も一流、論理も一流のエキスパートになってください。俺が応援しています。



[1:24:48] 888(godlike) の発言 :
そういうのじゃなくて
[1:24:54] 888(godlike) の発言 :
たとえばありえないけど
[1:25:5] 888(godlike) の発言 :
RPGで、モンスターに囲まれて毎日戦う、とかね
[1:25:18] 888(godlike) の発言 :
で、命をかけて誰かを守る、とかね
[1:25:33] 888(godlike) の発言 :
幕末を俺がすきなのは、命をかける場所を渇望してるから
[1:25:41] 888(godlike) の発言 :
今でも足りないんだよ。
[1:25:47] 888(godlike) の発言 :
一生懸命に生きることは
[1:25:52] 888(godlike) の発言 :
命を懸けることなんだ。
[1:26:43] **** の発言 :
じゃあ、もっと命がけの職種につけばいいかもね
[1:27:4] 888(godlike) の発言 :
単純に命の危険があることが
[1:27:9] 888(godlike) の発言 :
一生懸命につながるんじゃないんだよね。
[1:27:19] 888(godlike) の発言 :
だからこそむずかしい。
単純に命の危険がなくても、命をかけてるってことになる場合もある。


年を経てなお高まり湧き出る情熱を、どう捌く。



430 名前:こまま草[sage] 投稿日:04/03/28 13:12
昔さ、バイトの同僚にむっちゃ可愛い子がいたんだ。
その子と一緒に作業してるときにさ、
「それ取って」って道具を指さしたんよ。
そしたらその子、おもむろに人差し指を俺の人差し指に合わせてきたんだ。
ETって映画あったじゃん、あんな風に。
そしてニコって笑いやがったのよ。

俺はあれ以上の萌えを知らないね。


431 名前:こまま草[sage] 投稿日:04/03/28 13:13
彼女からしてみたらお前はエイリアンなんだって



わらった。一頻り笑った後、彼に対する涙が。


"春夏冬二升五合"
なんと読むでしょう。

■2004年05月08日(土)00:23  決起集会
機は熟した!と隣の女性の方に昼休み話しかけました。
畏まっているとそれを拒否表現だととる人も居るんで、それを解消しないとね。
やっぱり年の差があると、若さって怖いものなんだろうか。
得体の知れないものだからかな。

ちょうど話しかけたときにフロアのちょうど正反対に居る女性が来てちょこっといっしょに話した。
その方はかなり気さくな方なので
隣の人よりも、正反対にいるその人のほうが話したことが多いっていう皮肉な状況なのですが
とにかくもうだいぶ慣れてきたのでこっちのものです。
後は何かと用事を思いついたり聞くことを考え出して、話しかけるだけです。

実はそれよりも20代の男性の方達と仲良くなりたいんだけど
人生は皮肉なことに、本当に欲しい物のほうが手に入りにくいのね。いつのときも。
全てを手に入れたければ、欲しい物を作らないことです。


なんでも、繋がってみる事。
なんでもやってみること。
何でも食べてみること。
何でも触ってみること。

円満な人間関係を作るっていうことは難しいことだし
そういう能力に欠陥を持っている人間を大勢知っているけれど
彼らには今の3倍失敗してみる事をお勧めしたい。


月曜から泊り込みで研修です。
ドリルとかもって走り回ります。
とりあえずウィスキー一瓶持ち込もうと思います。
山奥に隔離です。

ダビスタが欲しい。
小学生のとき、ダビスタ2で得た感動を忘れられない。
馬についても素人で、調教についても素人なのに
自分の馬が良い走りを見せることにあれだけ喜べたんだからすごいもんだ。
飽きてはまって飽きてはまっての繰り返しだったなぁ。



テンションテンションテンションと良くきくようになったけれど
自然な人間関係においては、テンションが高まることはあるけれどテンションを高める必要はない。

テンションを高めなければいけないのは何かを作る人だけ。

場を作る道化芸人、盛り上げる幹事、作品を作る芸術家、記録を作るアスリート。
まぁきっかけを作るためにテンション高めるっつうのはありだけど
テンションを高め続けないと続かない関係っていうのは
"作っていなければ成立しない関係"とも言い換えられる。

かといって、我が道を行くことこそが関係においても自然だと思っている人間もいる。
自然を知ることは、それほど難しいことなのかな。



男女間の友情が簡単に成立すると思っているのは女性の方が多いはずです。
で、そのほとんどの女性が自分の常識を世界の常識だと思い込んでるはずです。
知らないんだね。
そして、知ることも望んでいないでしょう。




YOU THE ROCKって動いてるとこ初めて見たけど、PN科にいたS川くんのノリににてる。
彼がさらに激しくて、頭よくなった感じかも。

■2004年05月07日(金)12:17  自分様
理性によって何もかもを整理しようとすると、今度はそれ自体に逆らうのが難しい。
意識を構成する感情本能などほかの要素を考慮し、総括的な判断を理性は下すから
そんな必要性が生じることは本来ほぼ無いに等しい。
でも、今まで少なくとも1回あったから、それについても考えないといけない。


今日は直出で本社のほうへ。
移動にかかる時間も馬鹿に出来ないなぁ。
こういうときこそ勉強だけど、今日は眠かったのでねた。
そしたら親切なおじさんが終点についてもおきなかった僕を起こしてくれた。
ありがとうおじさん。


そういやこの前実家からこっちに戻ってくるとき
新横浜のホームが、尋常ではない量の女性でごった返していた。
埋まるほどのホームに男性は俺だけ。
なんかあったんだろうなぁ、あの日。
なんといえばいいのか、異区分のものに囲まれるってこわいね。
今回の実例では男性一人vs膨大な量の女性って構図だったんだけど
その異性が、別の種族とか、別の国の人とか、別の年代の人とかでも、共通した怖さがあると思う。

かなり興味をひかれたので後ろに並んでいた3人組の女性に
「今日は何かあったんですか?」
って聞こうとしたけど。
今はそんな時代じゃないなって思い直して聞くのはやめた。


物事の価値には、慣れてくるとそれが失われるものと
慣れてきてもそれが失われないもの、の二つに分けられる。
新鮮さ斬新さが、そのまま価値に直結するものと、価値の核の部分を占めないもの。

これがなかなか、単純でいて区別が難しい。
区別が難しいというか、区別しようと思い起こすのが難しい。

で、多くの愚かな人が失敗する。
"特別を当たり前に出来る人間は強い"
という自作の言葉があるけど
特別と当たり前を区別できる人間は、ある種の失敗をしない。



今日はいつもより多く寝たからか、爽快な気分だ。
しかし、これも単なる脳内の分泌物の状態の結果なのかな。

鬱の人間がその状態を改善するのに薬を使う。
普通の人間が良い状態を保つのに薬を使う。
どうだろう。そう行き着いた。
何故麻薬などという過剰な快楽を追求するものばかりが生まれ、より実利のある薬は生まれないのか。
現実問題無理なんだろか。

実際、鬱の人間のなかでも普通の人間のなかでも
自力で、より人工的に脳内に影響を与えられている人間が居るんじゃないかと思う。

自分もどちらかというとそっちの方よりな気がする。
子供のころからスポーツをやっていたし、喧嘩が大好きだったから
アドレナリンに触れる機会が多かった。
わかるんだよね、はっきりと。体も意識も変わるのがさ。
いくら全力で走り続けても、動き続けられるようになるのさ。
頬骨を全力で殴られても痛みがなかったりね。

あと、集中力を支える部分がまるで鋼の塊になったような感覚とか。
こうなると集中をするという行為のレベルが変わってくる。
よく、しばしば日常生活を満足に送れないほど何かにのめりこむひとがいて
そういう人が一種の天才だったりするけれど
その世界はさらにすごいだろうな、想像も付かない。

俺も子供のころからの習慣で、テレビを見ながら勉強するっつうのがある。
勉強してるといつの間にかテレビが終わってるか
テレビを見てるといつの間にか時間がたってるか
一種の決闘。

まぁそうやって
通常の状態と通常じゃない状態の違いを普通の人より少しだけ多く知っていて
移り変わる瞬間も少しだけ多く知ってる。

転職して、催眠術師に弟子入りかな。
でもまだ20年。まだまだわからない。



ゼネラリスト資格、か。
検討してみるけど俺には必要ないものかな。

■2004年05月06日(木)00:03  おずおずとした自己主張
LEE20倍、そんな辛くなかった。
辛さを強めてるせいで旨味より苦味のほうが強いかも。
辛いの大好きって人じゃなければ10倍くらいのほうがおいしいかな。

■2004年05月05日(水)02:42  さるぼぼがどうも落ちる
ヘッドホンとサブ機用のビデオカードついて
性能と価格とかいろいろ調べて、購入検討。

LEEの20倍を買ってきた。
10倍はたいして辛くなかったけど、これは辛いかもしれない。
子供のころは恐ろしくカレーが嫌いだったことを思い出すな。
匂いを嗅ぐだけで、綺麗さっぱり食欲がなくなるほど嫌いだった。
今でも唐辛子の辛さよりはカレーの辛さのほうが苦手かも。
楽しみだ。


学校外、つまり家で初めてLINUX起動してみた。
そしたら軽いじゃないか!
以前学校ではあれだけ動作がもたついていたのに。
なぜだか良く分からないけど、いいことだ。ということで、LINUXで書いてみる。
REDHATの7.3を使っているので、9.0にUPGRADEしてみようかな。
初心者なのでドキュメントやユーザーが豊富なディストリビューションを選んだほうがいいだろうな、きっと。
軽いとわかると、いじるのが楽しくなって来る。
動作のもたつきが使い心地と言う点でどれだけマイナスだったか実感する。

1時間ほどいじってて気付いた。
LINUXについて調べたりいじるのは物凄く良い暇つぶしになるんだけど
今の時期に暇潰しをするほどの暇は無かった。
ネットで調べて雑誌の講読か、良い文献の購入を検討しようと思う。
あくまでも暇潰しつうことで。

SUBとしてノーパソをつかっているのだけど、もうすこし良いのが欲しくなってきた。
今cerelonの700MHZくらいのやつなので、1.5Ghzくらいで同じくらいかもうすこし軽いのが欲しいな。
貴重な物欲なので、いつか購入するときのために慎重に考えよう。


秀和システムの問題集すごくいい。
読書並に面白く読める。単純に、読むのが楽しい。
前書き読んではじめて知ったけど
今回のこれは、以前あった参考書から進化した形での問題集、とのことだったんだね。
少し問題密度が薄い木がするけど、700ページあるから大丈夫かな。


さて、雑誌のたち読みと夕飯とか洗剤の買い出しと、いってくる。
残念なことに昨日も今日も曇だ。
いっそのこと雨のほうが、なんと無く良かった。




いくつかパソコンを使っていると、一部のフォルダというかデータの同期化したくなってくる。
共通して使っているツールの設定ファイルを筆頭に、お気に入りやいくらかのLOGやデータとか。
が、常時サーバを立てておくほどのアレ(便利な言葉だ)は無い。
ネットワークストレージとかがもっと使いやすくなったようなの無いかな。
それと連動したバックアップソフト。

まぁ何か見つかるまでは、必要に応じてフラッシュメモリでちまちま移そうと思う。



とりあえずすいすいと問題集を100ページほど進めた。
最初のほうより多分後のほうのが苦戦するだろうから、出足くらいは軽快にいきたい。
試験時期も決まってないし、確認テスト見たいのも無いから、受験時期を見定めるのが難しいな。
コメント

■2004年05月04日(火)20:15  レボリューションズ見た
レボリューションズ見た。

3部作とか〜部作とかって、分割されている作品を作るって難しいね。
3部作の作品だって、1作品ごとに起承転結を盛り込まないと
全部あわせて良い作品だとしても、個々の作品では詰まんないってことになりかねない。
一気に全部見せてくれるならまだしも、こうやって放映時期が離れてるんだから。

だからまぁ、仕方ないかなと思った。
リローデッドで明らかになった事柄を、結構忘れてた。
後、終わり方がよくないな。



20代の男性における最大の問題とは、当然のことながらあの問題。



なんか、実の無い一日だった。
眠りが自分には必要なもので、必要だからこそあれだけ眠ってたんだと
判ったような気がした。起きたのは11時くらいだったんだけども。

やっぱり、起きているときに得た情報の癒着や整理を、深い部分で行うというのは
眠りの一つの役割だと思う。
科学的にどうなのかわかんないけど、そういう気がする。
だとすれば、睡眠時間が多くなる傾向になるのも頷ける。



そろそろ"そとづら"をもっと気にするべきか。
今日の気分のせいかもしれないけれど、そう思った。

対象に向けた影響力は、対象外には意味を成さない可能性がある。
日本人には多大な影響力を与えるものも、アメリカ人にとっては何の意味も無いことだということがある。
〜ちゃんには多大な影響力を与えるものも、〜君には意味を成さない可能性があるし
〜君を含めた日本人にだって、意味を成さない可能性がある。

影響とは共振だ。したがってそれに沿う性質を持つ。
"本当に自分だけのもの"を貫き通しても、誰に影響を与えることもできやしない。
むしろ"本当に自分だけのもの"だからこそ、誰にも影響を与えられない。
結局、人間であるという共通した性質のおかげで
自分を貫き通し、それが人に影響を与えてくれることが多々ある。

また影響とは、対象が変わるとそれにあわせての波長の翻訳作業が必要だったり
構造を根本的に作りかえる必要がある場合がある。
その当時は誰かにとって意味のあった文章も、時が過ぎるにしたがって
誰に対しても意味を持たない文章になる可能性があったりする。
"誰か"も変わってゆくからだ。

影響自体は、それを取り巻く環境が移り変わってしまうことで意味が変動するから、確かなものじゃない。
しかし影響そのものを作り出す力は、環境の変化に対応できる。
奇跡的に出来上がった傑作と、傑作を安定して作り出せるほどの作り手
と比喩的に比較すればわかり良い。

確かなものだとは言えない影響を対象にとって良い質で作り出すこと、を重視するか。
影響を作り出す力でもある、根本的な何かを伸ばすこと、を重視するか。

こう問われたら、長い目で物事を見ている方を選択したい。

文章を書くにあたって、労力と質と量。そして需要。
さらには、"対象"が考慮すべき問題の筆頭に上がる、か。



■2004年05月03日(月)23:23  帰京
秀和システムの問題集を買った。1週間程度を目処に読み終えようと思う。
ぱらぱらよんでみると認定ガイドではまったく触れてないような部分も問題として出てるね。
そうか、そういうことか・・・。

芥川賞受賞作の両作品も持ってきた。両方とも短編なので各1時間もあれば精読できるかな。
いまはトットチャンネルを再読している。黒柳徹子さんの本。
あらゆる意味でこの本は彼女にしか書けなかったものだろうことが、再読していて良くわかる。
鵜呑みにするとすれば、こんな素直な人もいるんだなぁと。
素直な人。
モデルとしては、言葉を聴いて想像することは容易だけれど、現実ではやっぱり貴重なもんだ。


熊とからす

白川郷、窓からの一望


明日は高校バスケの神奈川県大会があるようなんだけど、いまいち会場情報がはっきりしない。
横須賀アリーナっぽいけど、それでいいのかわるいのか。
車でもあればすっといけて便利かもしれないがあいにく持ってない。
やっぱりいつか車買うことになるのかな。
ただ普通に走ればいいし、軽でいいんだけど。
コメント

■2004年05月03日(月)13:52  壁の花
家に匂いがあるのと同じように、町にも匂いがある。
長く住んでいると気にならなくなるような匂いだけど
久しぶりに帰ってくると、それがよくわかる。
町のそれは家のそれと比べ漠然としていて、斑がある

結局、住んでいるところまで行く新幹線には間に合わず
とりあえず静岡で降りることになった。
そこから鈍行で帰ろうと考えていたら、友人も高速バスが渋滞で遅れ
静岡まで親に迎えに来てもらうらしいので
ご相伴にあずかることにした。

車の中では、他愛もない雑談に華が咲く。
IT系のニュースサイトに載るような事柄について取りとめもなく話す。

静岡の駅前はそこそこ人は多いのだけど、ネオンがない。店がない。
24時間やってるような喫茶店等を探したけど見つからなかった。



1日2日と、飛騨高山のほうに家族で旅行に行ってきた。
いつもより少しよい旅館にとまったので、下で迎えてくれる旅館の人が多いのが印象に残った。
あと、女将さんがいた。
とても上品だった。

ものにも人にも、そう思わずにいられないような存在感を持っているものがある。
太陽は、太陽を見る人間にとって、明日も東から昇ることを疑わせてはくれない。
信頼できない、と思わせてくれない人間だっている。
信頼できると思わせてくれない人間もいる。

海外に馴染んでいない人間が海外に抱く幻想と同じように、目新しさやイメージや思い込みからくる存在感もあれば
太陽の存在のように、確かな事実に基づいた存在感もある。
存在感とは、見る側から持ち込まれもするし、見せる側から与えられもする。
それらはどちらも、結局はまったく同じ性質を持つ"存在感"というものになる。
〜感。
認識というものの性質を、存在感もしっかりと内包している。

観るものが幻想を持ちこんできてくれたのなら
見られるものは何かを与えずともその幻想を壊さないようにするだけでいい。
そうすれば、同じように存在感はそこに生まれる。
女将さんはとても上品でいて
女将さんであるということ以外の想像は、させてくれなかった。


途中名古屋によって、弟を拾ったんだけど
名古屋ってこんな感じなのね。はじめてみた

昔も行ったと言う事で熊牧場にいってきたけど
10年の間に牧場のほうもなかなかシュールな展開を迎えているようだった。
熊の住んでいるスペースの中には熊以上のカラスがいて
くまに与えられた餌を隙を見てはついばんでた。
熊の犠牲になった鴉とかいるんだろうか。
檻の中で展開される異種族の共存。

なんと10年前の5月1,2にも飛騨高山に旅行にきていたことが
アルバムからわかった。
前もこっちのほうきたねっていう話はしていたんだけどね。

あとは飛騨牛最高。
山にはまだ雪が残っていて、見渡す限り山だった。
白川郷のあたりを散策して、高山の小京都っぽい町並みを散策。

帰りのサービスエリアで、スキットルが1000円で売っていた。
とりあえずスキットルの体をなしているようなので買った。
これで便利なドリンキングライフをおくれる。


旅館の椅子で、シャイニングを完読しました。
早めに寝すぎてしまって一人起きて、真夜中に読書。
下巻もすばらしい。
本を読むことによって、本の中の登場人物を知れるけど
現実における実際の人間との出会いとそれはまったく違うもののはずなんだよね。
だからどんなひどい泥沼や、悲劇、凄惨さを読んでも涙を流す程度で済んでしまう。

が、この物語は描写がリアルで、人物もリアルで感情移入がどうしても激しくなる。
さらにスティーブンキングという作者は
人間における、人間関係における醜い部分をきっちりと描く。

だから、この人が、読む人間に心痛を味合わせるように物語を書いたら
読んだ人間は、実際にその出来事を体験したように参ってしまうかもしれない。

傑作でした。


恐怖という感覚は、途轍もないインスピレーションを与えてくれる。
なかなか恐怖に陥いることは出来ないけど、人間という殻を突き破りそうなエネルギーをもっていそうだ。
恐怖をもう少し見直してみる必要がある。
人間のもつ、ひとつの可能性として。


世界に向けて心を開くことも自在だし
あとは、脳内の分泌物を理性で管理できないかなぁ。
と、まじめに考えている。
一流のスポーツ選手がアドレナリンを〜、って話のように。
生理的な管理じゃなくて自己暗示でいいんだけどね。
自己暗示に至る方法論を見つけ出さないと。
そうしないと薬に頼ることになる。

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