新宿でヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見てきた。
以前のエヴァを結末まで見ていて、知らずのうちに希望的なIFを心の中に持っていたからこそ
作品の中の端々から浮かび上がってくる変化に、見ている間中ひきつけられた。
絵、アニメーションで物理的な動きと像を表現するという、基本的な部分も、良く作り込まれていて、見ていて気持ちいい。
とても面白いし、好きだ。次のもみたい。
後は、ワルキューレを見た。
ヒトラーの暗殺計画が少なからずあったというのを知らなかった。
とにかく緊張感があって、極限状態の選択というものをうかがい知れる。
動機付けの部分なんかさっさと片付けられている。
平野啓一郎の葬送 第1部(上)を読んだ。
作曲家ショパンとその友人の画家ドラクロワなどを中心に、交流と思索と感情を書いている。
多分綿密な時代考証と、丁寧な描写が文庫4冊に及ぶ作品に詰められている。
驚いたのは、読みやすいこと。
先日昇格者研修で、傾聴に始まる、コミュニケーションにおける感情的な共感・理解などについて講義を受け、演習をした。
論理的に伝えて理解させる事とは別に、感情的に伝えて理解させる事で、スムーズにリーダーシップをとるというもの。仰ることはわかります"が"、と言われないために。
他にはlower managementに近づくに従って業務処理にはプライオリティが大事になってくるよねというような話を、インバスケットを使って演習したりした。
最後には部下を引き止める課長役でロールプレイングして、10分程度の模擬面接を繰り返したり。
まぁ、そんなことをやって、話が面白かったのでそれぞれ印象深かったんだけど
コミュニケーションに関わる部分が自分にはきもだなと感じた。
ここをきちっと押さえておくことは人生を変えるほどに重要だと感じた。
強烈なリーダーシップと積極性、確固たる意見、驚くべき論理性という、多少誇張して言えばそんな感じのことが、研修を終えて班員からフィードバックされた自分への印象だった。
そして当然の如く、向上した方が良い点はそれの裏返しだった。
ここで感じたのは2点、一つはあきらめと、もう一つは感情的な理解や共感を促進させる為の手法を今後強く推進するべきだということ。
そして
誰だか忘れたけどある人は、人と人を例えば円であらわして重ね合わせて、その重なり合った部分こそが人だと言ったらしい。
その部分こそが実存だと。
そして、ほんとかどうかしらないが、間という概念を、ひとを表すために使ったのは日本語だけだそうだ。
人間。
他者がいるから、人間は人間として、存在できるという。離れてゆけば"孤独"になり、何れ"孤立"する。
そうすると人間を保つことが出来なくなると言う。
秋葉原殺傷事件の犯人も精神鑑定では正常だった。もしかしたら、その極度の孤立から、人間ではなくなっていったのかもしれない。
ここで感じたのは自分は
時間がないので、記述は頓挫させておく