ダウト ~あるカトリック学校で~を見た。
米アカデミー賞で主要キャスト4人全員がノミネートされたとのこと。
1964年のアメリカのカトリック学校における、doubtをめぐる映画。
疑いは時として確信と同じく、人と人のbond(絆)を強めると神父はいう。
確証を持たない校長は、私だけがわかる、という 。
子の母は、何が起こっていようとも、子を思いやってくれる側の味方であるという。
若いシスターは神父を信じ、I wish i could be like you(あなたのようになれたら)と校長に言う。
事実は見る側に示されない。
母と校長の路上での会話と、庭におけるシスターと校長の会話の場面は、注視せざるを得ない。
SPEEDを読んだ。相変わらずだった。
高校生達は何かではち切れそうだった。
アギーになら抱かれても良いと思った。
時間がない。
千葉で緊急地震速報が流れたが、誤報だったようで、実際には揺れなかった。
明日帰省して2泊して帰る。
給料日が来た。色々使っていたつもりで、思ったより使っていなかった。
ずっとメモろうと思っていたこと。
理屈から、論拠を築いて、結論を導いたり判断をしてきた。
だからこそ、理屈無しに判断する能力が退化している。
よって、どの色が良いだとかどこに入るだとか、そういった判断全般において、自分のそれより女性のそれを尊重する。
期日前投票に行った。
投じる先がない。
単純にどこにつけば得をするのか、誰もが一定以上に生活をやりくりしている状況では、そういった明快な判断基準が出てこない。
ずっと先に進むための、目途がたたない。
生きていないに等しい。