鷺と雪を読んだ。
時代設定が昭和11年くらいの初期。大名華族とかでてくる。
まだその時華族制度があったんだなぁとおもってWIKIを見てみると、1947年、昭和22年まで続いていたらしい。
短編3作がのっていて、ある華族の娘さんと、そのお抱え女性運転手が昭和初期の時代を過ごす中で
身の回りのちょっとした不思議を解決していくような話。
このジャンルは日常の謎、とか、日常ミステリとかいうらしい。
北村薫の時の3部作とかいわれる、リセット、ターン、スキップは読んだことがあったんだけど
相変わらず、上品な人たちが作品の中で上品に生きている。
人の世という地面の上に薄皮一枚ひいて、その上に人々を作っておいたような、薄いけども確かな泥臭さとの乖離がある。
お話自体は、作者独特の空気感が嫌いな人じゃなければ、そこそこ楽しく読める。
シリーズ三つ目らしく、直木賞受賞作とのこと。
坂の上の雲(2)を読んだ。
日清戦争前から、ロシアと一触即発の情勢になるところまで。
正岡子規や秋山真之なんかの主人公格を描きつつ、時代の人材が適度に登場する。
時代における個人の立ち位置という意味で、考えさせられる部分が多いし惹きつけられ、何度か目頭が熱くなった。
直向きに追い、切磋琢磨し、必要であれば自分と他人を比べる事をおそれない。
そういう粗野な欲求や、不器用さからくる真摯さがある環境と、人の連なりがうらやましい。
そうして大きな影響を改めてうけて、いつも以上に最近色々考えている中で、考えがいったりきたりする。
それは以前一度とどまった箇所に考えが再度至る、ということも含む。
ぶれであったりゆれであったりするのかもしれないが、ただ右往左往するのと、必要な方向に向かおうとすることで体躯を揺らすのとは違うだろうし。
ただ、あくまでも司馬遼太郎の視点から編纂された現実の記録であって、現実そのものではないので
現実に近似した現実の皮をかぶった物語の中に、逃避したがっている自分がいるんじゃないかと、うたぐってもいる。
坂の上の雲の部分で書いた考え方の移り変わりがいくつかある。
まず、旅行にいってみたくなった。
この前の熱海旅行は非常によかった。
自然の中に居るというのがよいし、一人だと身軽でもっと良い。
大事だと思っていたけれど、どっかに予約をって一人でふらっといって帰るというのは、そんな大事でもないんじゃないかという気がしてきた。
こういう考え方に今までずっと至らなかったのには間違いなく疲労が関係している。
半日外に出ただけで、ひどいときは目を開き続けられなくなって、まぶたがけいれんするということもあった。
もしくは深い眠気に脅かされる。
それが、ビタミンBを錠剤で飲むようになって、大幅に改善された。
ストレスでビタミンが壊れていたのかもしれない。疲れを取るのはビタミンBの役目だそうで、食物からは取りづらいそうだ。
だから、花火も、熱海も、疲労によって塗り込められる事が無かったんじゃないかと思う。
他には、役所なんかの地方公務員の試験を受けて、故郷に戻るのも良いかと思えてきた。
今回の帰省で、いとこにあって、また小遣いをやってきた。
小学校6年生の時にはかわいい男の子という感じだったのに、中学3年生になって野球少年を経験して、筋肉もついてきて、よく成長している。
ただ、腕立て勝負したらまだ勝てた。
妹の方も、来年中学校に入るということで、だんだんと女の子らしくなってきているし、人として会話ができるようになってきた。
自分の子供ではないのに、子供は活力の源泉になる。
故郷には家があるし、祖母が居て、父母が居て、めんどうもいつかみないといけなくなる。
かといってなろうと思えば必ずなれるわけでもないし、普通に入るには28までの年齢制限があって来年再来年と2回しか機会はないし、算数とかもうわかんないし、論文もでる。
ただ、逆に仕事にある意味であきらめがつけば、もっと時間を割いて趣味をきちんとやれるような気もする。
他には、自身と対比しての他者であったり、自身と関わる他者という人の考え方がある。
勝手に色々考えて、自分の心の中でついたり離れたりをしている。
人の問題には考え方が2つあって、一つは能力とか資質とか、尊敬できるかとか、意見を聞いてみたくなるかとか、そういう考え方。
もう一つは親しいか、一緒にいて心地よいか、信頼できるかというような、そういう考え方。
前者の考え方は、さらに2つわかれて、自我の成熟という観点においてのそれと、簡単に言えば頭の良さという観点においてのそれがある。
いずれにせよ、そういう考え方の中で、価値があると自分が考えている他人というのは非常に少ない。
前者の考え方の中で、2つ共を十分にというと、0に近い。
後者の考え方で、5人もいない気がする。
こういう事をふまえて、間違いなくいえることは、自分が一般的な意味において孤独の度合いが高いと言うことと、そういう方面では決して幸せではないこと。
そして、人は人間として生きる中で、重要度の高い要素であること。
なんだかんだいっても、自分に価値を認めてくれ、自分も相手に価値を認められる様な相手を切望する。
良い影響を、これでもか、というほど与え合いたい。
ともかく、そういった考え方を一つの基準にして、潮の満干のように、人によったり離れたりするというのを繰り返してきた。
今は干潮。
その、人についての考えが、生活基盤の移転に関する考え方にある程度影響を与えているし
人生哲学のような物にも影響を与えている。
他者から畏怖とコンプレックスを誘い、世俗を超越したぶれのない人間であっても
取り囲む環境から間違っていると言われつづければ、一度存在を揺らすことで再生し、活力を蓄える必要があるんじゃないだろうか。
小男で口が悪く行動力旺盛で頭が切れた、坂の上の雲における小村寿太郎の描写に思うところがあった。
タイトルは山村暮鳥の、囈語という詩から。鷺と雪にでてきた。
ITストラテジスト。
10月の20日前後に受検だから後2ヶ月もない。
論文に取りかかっているが、やはりここからどうやって良いものか不明瞭になる。
実務で個別及び全体のシステム化計画を企画、指揮したことなど当然ないので、記述の対象については嘘八百を書くしかない。
取り合えず、三つほど基本となる題材を用意して、様々な問いに合わせられるように想定して設定を肉付けしていくしかない。
とりあえず、食品、自治体と決めたので、後一つ汎用的な題材を選定しないと行けない。
なるべく多様な問いに柔軟に対応できるような題材でいて、業界内部の専門的な部分がさっぱりわからないという事が無いようにしないといけない。
受注と調達と生産と、とか、ある程度プロセスを想像できるようにしておかないといけない。
この辺はプロジェクトマネージャの際の教訓を生かせそうではある。
後60日もないという事は、60時間もないというのと一緒なので、厳しい。
これが受かれば来年の4月から給料が下がって厳しいということがなくなる。
切実だ。去年のように夜勤の間に現を抜かす相手もいないので、そこは安心できる。
これこそが駄文という、というくらい色々書いたが
こういうぶれは大事にしたいと思う。