- 2009年8月30日 10:54
- 雑記
日光って見るとこあんのかね。
den君と秋の連休にでも行ってみるかという話になった。
調べないと。
激怒して起きた。
夢で、友達の隣にいったのに、反対側の男といちゃつかれた後、なんであんたみたいな貧乏と結婚しないといけないのよと言われ、その後全く別の男に口付けしやがった。
ストレスだね。
でも、なんか関係に不自然さがある。
関係の中に、おそらく秘匿なんかがあって、心地の良くない気遣いがある。
関係の中にある非我のせいで、自我が十分に動かせない。
そういうの嫌いだ。
相手への執着、大事に思う気持ち、近しい距離に居て家族のように親しくなりたい気持ち
などが、やはり少し均衡失っていて、自分の側の気持ちの方が微量に強いようだ。
関係における互いの気持ちは自然と調和するべきだ。
そうしないと、心を削ってどちらかもしくは両方が、意図的に気持ちの調整をする必要があって、これがきつい。
多くは関係の崩壊を呼ぶ。
そうすると、行き着く先は二つしかない。
一つは、相手にも犠牲を払ってもらって足掻いたうえで、関係と気持ちを調節する。
もう一つは、諦めて先に壊すか。
なら、もう、連絡手段をたって、人工呼吸器のスイッチをオフにするような感じでもって、壊す。
1年前、きちんと相手を失う覚悟をしたのに、自分が失うような一連の行動をとらなかったから、例外的に失われなかった。
これはよくなかった。
もう6年くらいの付き合いになるから、今までで一番大きい。
ゆいいつ少しだけ頼れて、まともだと思っていた相手だったけど、仕方ない.
自分が何かに執着を持つというのは、経験上全部悪。
本件のように全く劇的でなくて、ふわりと少量でも悪。
滅びるまで犠牲を払う覚悟はあるけど、そんなものは役に立ったことがない。
明らかに幸福な方向に向かうのを拒否されたようで、恨み辛みを言いたくなる。
変わらない自己に対して、自分が変えることを拒否しているから変わらないのだと錯覚するのは、強さへの道筋から外れている。
芯は変わりようがない。変わることの方が難しい。
感情を抑えることも、強さではない。
自分以外の自我が存在するこの世界の中で、感情を発露させることの不安に打ち勝つのが強さだ。
その上で、発露した感情と正面から向き合うのが強さだ。
ということで、きちんと、伴侶を捜していきたい。